♪忘れな草 music by Sora Aonami

  leafy shade
  −緑の木の下で−

 ――あいつを見つけたのは、ほんの偶然だった。
 空いた時間を利用して走り込みに行った、昼少し前のウバ湖。
 太陽はずっと高くに上がっており、足元の影はわずかに自分自身の体からはみ出したくらいで草の谷間にでこぼこに揺れる。空はぬけるように蒼く、湖の表面はかすかに白く波立ち、きらきらと十字の星のような光を辺り一面にばらまいていた。
 風にざわめく緑の音だけに支配された人気のないその場所で、下生えの草に身をうずめるように横になっていたその男は、同じクラスの“天才”フェイブニール・カーヤンだった。
 「なにやってんだ、こんな所で」
 草の上をかすかな音も立てずに、投げ出された足元に立つ。故意にというわけではなく、もうずっと前から、そんなふうに気配を消す術は身体に染み込んでいたから。
 「確か午後の終わりには薬学の授業があったはずだけど?」
 まだ声変わりのすんでない、幼さのぬけない高めの声を落とすと、フェイブは少しの驚いた様子も見せず、目を閉じたままで、つまらなそうに一言、
 「そっちだって、同じだろ」
 低めの、しかしよく通る声でそう答えた。
 「俺は一昨日その授業とってたからな、今日は別にいいんだよ。お前はその日出てなかっただろ?」
 どすんとその場に腰を下ろすと、ずっと走っていて火照った身体に服を通して感じる土の冷たさがしみた。見上げると、木の葉の間から白く輝く光がゆらゆらとレースのカーテンのようなすじを落としている。木陰の風がどうして他よりひんやりと心地いいのか、ふと、そんなことが気になった。
 「そっちこそ、何してる?」
 柔らかな風にそよそよと蜂蜜色の前髪を揺らしながら、静かに、訊かれて自分は答えなかったその問いを今度はこちらへと向けてくる。素直に答えるのも何となく釈然としなかったが、相手が相手だ。ガキじゃあるまいしムキになるのも大人気ないかと口を開く。
 「ヒマだったからな。走り込み。天気もいいし」
 簡単にそれだけ答えると、フェイブはさして関心もなさそうに「ふうん」と相槌を打った。
 「さすが魔道具使い。体力だけは有り余ってるんだ」
 余計な一言もシッカリ付け加える。
 「バカ言うな。体力つけとかないと、強い魔道具の力には耐えられないんだぜ。基礎体力作りは魔道具使いの基本なんだよ」
 腕を組んで見下ろしがちに、鼻息荒く言い放つと、
 「知ってる」
 それくらい、と愛想のカケラもない返事が返ってきた。
 ……なら言うなよ、そういうセリフ。
 「まあ、そんな影の努力、“天才”のお前には関係ないか」
 へんっとそっぽを向きながら、苦虫を噛みつぶしたような顔で悪態をついてみる。ああ、どうせ俺はコツコツ努力型だよ。
 と、不意に何の前置きもなく、勢いよくフェイブが身を起こした。足は相変わらず無防備に投げ出されたまま、起こした上半身の背中から、ぱらぱらと草の切れ端が舞う。
 奴の足元の地面に座り込んでいた俺は、ぐんと近づいてきた顔に思わず半身引いた。
 「な、なんだよ?」
 「誰が天才だって」
 深い碧の瞳で、鋭くこちらを睨み付けながら、低く、威嚇するような声でフェイブはそう言った。一瞬、何を訊かれているのか分からずに、「なんなんだ?」ともう一度心の中で繰り返す。
 「誰って……お前だろ?他に誰がいるんだよ」
 思いもよらない反応に、驚きのあまり微かにしびれた脳の端で、こいつの怒った顔なんて初めて見たな、とぼんやり思う。こいつはたいてい無表情で、淡々と何でもこなしていくから。
 そうだ、こいつ以外に誰が天才だというんだろう。俺がガキの頃から大体6年くらいかけて、やっと12歳になった今たどり着いたアカデミーの 第4段階 アダル・プリム に、たった2年でやって来たこいつ以外に。他の奴も、…教師だってそう言ってるじゃないか。
 「そんなふうに言われるのは好きじゃない」
 吐き捨てるようにそう言うと、フェイブは再び地面へと身体を放り出しす。とさり、と軽い音がした。
 「何もかも実力のせいにして、少しの努力もしてないみたいに…」
 顎の下くらいの長さの金髪に隠れていて、表情を伺うことはできなかったが、ふてくされたようなその声に、麻痺しかかっていた脳がゆっくり動き出し、なんだかとてもおかしくなった。
 何だよ。そんなムキになって拗ねるようなことかよ。
 こいつ俺より5つも年が上のくせして、俺よりずっとガキじゃねーか。
 ……俺だって、お前がアカデミーに入学するまでは言われてたんだぜ。その、“天才”っていうヤツ。
 言いたいことが、頭の中に次々に浮かんできてクルクルと回っていたが、大人な俺はそんなこと少しも表に出さずに、くくっと、喉の奥で小さく笑っただけで、
 「悪かったよ。お前がそんなに言うほど努力してたなんて、知らなかったんだ」
 素直に、謝ることにした。
 フェイブは、組んだ腕を頭の下に敷いて、いつもの無表情よりももうちょっと不機嫌な顔で、薄く目を開けてそこに蒼い空を映し……まだ怒っているのか、ムキになったことを恥じているのか、多分前者で、ぶっきらぼうに一言、こういった。
 「努力なんてしてない」
 …………………はあ、なんだって?
 パチパチと瞬きして少し考えてみたが、いまいち理解できなかった。
 「なんか言ったか」
 「努力なんて、してない」
 「…………はぁっ??!」
 「実力、あるから」
 あまりの言いように、口を魚のようにぱくぱくさせるだけで、何にも言葉にすることができなかった。訳の分からなくなってきた頭を何とか整理し、とりあえず文句を口にするまでに、たっぷり一分ほどかかったんじゃないだろうか。
 「何だよ、それ。さっき言ってたこととむちゃくちゃ矛盾してるじゃねぇか」
 そんな俺の苦情なんて、全く聞いちゃいないし。
 またさっきのように目を閉じてしまって、さらさらと風に髪を遊ばせている。そんな奴の口元が、一瞬これ以上なく綻んだのは、俺の見間違いじではないぞ。絶対。
 訳分かんない奴だよ。本当にさ。
 風が吹くたびにきらきらと惜しげもなく、宝石のような…いや、もっとずっと綺麗な光を撒き散らす透明な水面をなんとはなしに眺めながら、小さく息をついた。こいつにとって、フェイブニールにとって、世界は俺と同じように見えているのだろうか。それは誰にでもいえることだが、全く予想が付かない。
 何にも興味がないような顔で、淡々と難しい魔法式を実践してみたり、こんな所で、人を食ったようなことを言ってみたり、……かと思うと、自分の年の離れた妹に対して、誰だか疑いたくなるような嬉しそうな笑顔を浮かべてみたり、こいつときたら、全くもってつかみどころがない。得体が知れない。
 「ヘック」
 ぼんやりと、そんなことを考えていたら、不意に名前を呼ばれた。
 少なからず驚いて、視線を元に戻すと、声の主は碧の瞳でどこか遠くを見つめていた。今まで、名前を呼ばれたことがあっただろうか。どこかくすぐったい違和感。
 「さっき、学園長に、会った」
 当の本人は、心ここにあらずといった感じで、ぽつぽつと、途切れがちに話す。一言一言を噛み締めているようでもあった。
 「学園長?」
 「……そうだ」
 フェイブの言葉に、俺は首を傾げた。聞き慣れないその言葉に不思議に眉をひそめたが、次には純粋に納得していた。ああ、アカデミーにも学園長、なんていたんだ。
 よく考えたら当たり前のことなんだけど、俺は…いや、俺だけじゃなくて多分全ての生徒は学園長の存在なんて考えてみたこともなかった。だって、見たことがないのだから。どんな式典にも出てくるのは教頭だけだったから。
 その学園長に会っただって?!俺は続きが聞きたくて、じっとフェイブの次の言葉を待ったが、フェイブは何を考えているのか遠くを見つめたまま、いっこうに口を開く気配を見せない。
 ……これは、もう何も言わないかな。
 直感でそう思った。
 多分それは何かあったとしてもフェイブの問題で、俺が何もかも掘り返そうとすべきことじゃないんだろう。こいつから、一言でもそんな話をしてきたこと自体奇跡だったのかもしれない。ただの気まぐれにしても。
 訳分かんない奴だよ。本当にさ。
 だから、「そうか」とだけかえすと、ムッと腹に力を込めて、勢いよく立ち上がった。
 不思議そうにこちらを見上げてくる奴に、親指で学園のほうを指し示しつつ、
 「帰るぞ。午後の授業には出ないといけないだろ。…何ならおぶっていってやろうか」
 歯を見せて笑いながらそう言うと、フェイブは嫌そうに眉を寄せた。
 「自分で帰れる」
 「普通の奴が走ったって、間に合う距離じゃないだろ。夜になっちまう。それとも俺より速くアカデミーに着けるっていうのか?…競争したっていいんだぜ」
 この偉そうな奴に頭を下げさせるのだってたまには悪くないだろ、とからかい半分に軽い気持ちでそう言ったのだが、意外にもフェイブは、
 「いいよ、競争でも」
 さらりとそう言ってのけた。
 おいおい、マジか。自信過剰はよくないぜ。…と、思ったものの、あえて口には出さず。
 「分かった、あとで泣き言いうなよ。負けたら今度学食おごりだからな」
 そよそよと、風が吹く。心地よい木陰に、木漏れ日はさし。
 フェイブが立ち上がり、身体に付いた草を払うのを待ってから、行くぞ、と自分より少し高くなった碧の双眼に視線で訴える。
 ゆっくりと、奴は頷いた。
 「Ready……・・Go!!」
 低く叫ぶと、一気に太陽の下へと飛び出す。
 筋肉がぎゅっと収縮し、伸び、そのまま突き放そうと加速しはじめたその時―――。
 ゴウッ……と、風が吹いた。背後から。
 強い、魔力の波動。自分に力が無くても、そのくらい感じる。
 「なっ……!」
 慌てて振り返ると、渦巻く風の中心の、不敵に笑う碧の瞳とばっちり目があった。
 「学食おごり、ね」
 蜂蜜色の甘い金髪を、ごうごうと吹く風に自由にさせたまま、精霊か何かのように荘厳に、凄絶な笑みを漏らし、ふうわりと、足が地面から離れる。森が怪しくざわめき、風が一瞬、雷のように激しくなり、…俺は思わず目を閉じたが、次におそるおそる開いたときには、傲慢きわまりないあいつは、影も形もなく、すっかり消えてしまっていた。
 影も形もなく、すっかり。
 「それは、……ズルなんじゃないのか。おい」
 一瞬の嵐のような出来事など、まるで無かったことのように静かになったニルギリの森、ウバ湖畔で、茫然と、かかしのように立ちつくしたまま、俺はそんなセリフしか言うことができなかった。
 「っていうか、空間転移までできるのかよ、あのバカ」
 ハチマキをした黒頭をくしゃくしゃとかき上げるとうめくようにそう言って、……他に何ができる?俺はその場にさっきのあいつみたいに、ごろんとひっくり返った。手をいっぱいに広げて。「くそ〜〜〜〜」と情けない声をそこら中に響き渡しながら。
 目の前には落っこちてしまいそうな、蒼い蒼い空。
 人生いろいろあるけれど、この空のずっと向こうみたいに
 先が見えないってことはいいことだ。
 多分。






ヘック12歳、フェイブ17歳の時のお話。
一応友情ものです。
友情?!という気がしなくもないですが、友情です。
ヘックは子供の頃から苦労性です。今も変わらず、そんな感じですが。
フェイブは今からすればだいぶ子供でひねくれていますが、本質的には何も変わってないんじゃないかと……。
とりあえず、5つも年下の人におごってもらうのはやめましょう。

稚拙な文章で、かなり音楽に助けられている感じがしますが、
どうぞ、「オルゴールの城」サイトさまの、素晴らしい音楽をお楽しみください(*_*;

折原なな
2002.4.7






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