6.木の実の在処


 こんなふうにお願いされて、断ることのできる人間が果たしているだろうか。
 もちろんフィーは断れなかった。相手はあのマギーでもある。
 長い長いフィーの…つまりはマギーの話が不必要なほど詳細に打ち明けられた 実験室に、何とも言えない微妙な沈黙が下りる。珍しく眉根など寄せて、難しい 顔をしたフェイブの溜息が全員の耳に届いた。
 もともとアレな顔つきのヘックといえば更に頬を引きつらせて、全力疾走した 直後のような疲れ切った声音で先を促すように渋々「それで?」と目線を下に向 ける。
「…へ?それでって?」
 黒目の先にいた当のフィーは、意図が汲めずにきょとんと首を傾げた。
「だぁから報酬だよ。そのムースリの実を採ってきたら、何してもらう約束した んだ?……まさかタダ働きするつもりじゃねぇんだろ?」
「ああ!」
 そういうことか。ぽん、と納得したように手を打ったフィーはけれどもすぐに 返事をせずに、もじもじとハエのように手をすり合わせて…そして同様の反応を 見せていた他の三人――セイミ、クゥ、パツィムと意味ありげな視線を交わすと 、やおら…。
「うふふふふー」
 と微笑みあうのであった。
 ヘックはとても嫌な予感がした気がした。というか絶対した。
 先にフィーが話をしておいたのだろう。どうやら溢れる笑顔を押さえきれずに いるこの3人は、そこだけは完璧に知っているらしい。そして、自分を呪いたく なるほど勘のいい黒髪の彼も、聞かずともじわりじわりと察しが付いてきてしま うこの薄幸さ。渋面がこれ以上俺に気をもませないでくれとありありと述べてい るにも関わらず、脳天気な4人ときたら目配せも手慣れたものでウンウンと頷き 合うと、代表して(何故か)パツィムが満面の笑みで口を切った。
「手伝ったオレたちもみんな、好きなだけ田舎亭のパン食っていいんだって!! 」
 ……………………………………………ああぁぁ。
「おや、それはまた安く引き受けたものですねぇ」
「だあぁっ!!!おおオマエどこが安いってんだよこの野郎ッ!パン屋は店を潰 す気かよ!!」
 笑顔も穏やかに無神経なセリフを吐くフェイブに、八つ当たりも甚だしく、す かさずヘックがくってかかる。立ち上がった背の向こうでガタガタと椅子が踊り 、フェイブは嫌そうに顔をしかめた。
「なんですかそんなヘビみたいな大声出して。やめてくださいよ、ほら、ツバが 」
 ペシペシとこれ見よがしに上着をはたいてみせる。ヘックはぐぅと喉を鳴らし て、半分闇に沈めたような形相で息も詰まりそうな沈黙を守った後、こめかみに 太い青筋を浮かべていたものの、意外なほど静かに椅子に着いた。
 彼は子供ではない。その年若い頃からの付き合いで、フェイブという男につい ては嫌というほどよく知っている。いまさら「ヘビの大声」について問い詰めて も無駄であるのだ。もはやパン屋がどうなろうと己の知ったことではない。と、 ヘックはやさぐれ気味に頬杖をつき明後日の方向を向くのだった。
 4つの視線が黒い後ろ頭にじっと集まるのを見て取って、笑いを含んだ声音を 取り繕うこともせず、楽しげにフェイブが話を戻そうと口を切った。
「それで、そのムースリの木の実っていうのは、どんな実だと?彼女は何と言っ ていました?」
 途端にヘックに集中していた視線がギョッとしたようにいっせいにフェイブに 突き刺さる。さすがの彼もこれには動揺した。
「………なんですかアナタたちは」
 という訴えなどまるで聞いていないようで。
「――ええぇえぇぇっ!!?」「うそー」「そんなっ!?」「まさか……」
 てんでばらばらに驚愕の声をあげている。そして最後には口を揃えて。
「フェイブ、ムースリの実のこと知らないのぉっ!?」
 ああ、それだけを頼りにしていたというのに。
「聞いたことありませんねぇ」
 なんてあっさりと言ってくれるではありませんか。リーブラの4人組は絶望的 に頭を抱えた。まずい。たいへん良くない。いったいこれから先どうしたらよい というのであろうか。フィーなんか狼狽したように思わず立ち上がり、手を伸ば したり丸めたりしながら乗り出すように捲し立てた。
「えぇっ!?ムースリの木の実っていったら一コ握り拳くらいの大きさがあって 、艶々した黒っぽい赤色の木の実だっていうよ?!それで大きなトゲトゲがバラ の茎みたいにいっぱい付いてて、臭うと池の底みたいな不思議な香りがするらし くって………本当に知らないのぉ!?」
 中途半端な体勢で椅子に腰掛けたまま、首だけこちらに向け聞いていたヘック が、心なしか青ざめた表情でぼそりと呟く。
「食い物かそれは」
 一方フェイブは細い顎に手を添え、眉を寄せてしばらく考えていたものの、結 局は首を傾げるのみで、ヘックの声に続くようにゆっくりと左右に首を振るだけ だった。
「いえ、やはり知りませんね。…………どこか引っかかるものはあるような気も するのですが」
 フィーのあまりの落胆ぶりに気の毒になったのか、頬を掻き掻き最後に付け加 えてくれたものの、ああ、それがいったい何のタシになるというのだろうか。フ ィーは机に沈没した。そのはすむかいでパツィムも沈没している。フェイブはさ り気なく視線を逸らすと、もうほとんど残っていないカップの紅茶をさり気なく 口に運んだ。
「っていうか何でおまえらはそうフェイブに頼り切ってんだよ!図書室があるだ ろうが図書室が!手抜きすることばっか頭使いやがって、ちったあ自分で調べて みろや」
 バシッ!と机を一撃して入れられたヘックのカツは、憂鬱な雰囲気にもまれて あまりにも簡単にムシされた。読書は好きではない。
「おまえら………」
 聞いてンのかコラとヘックの怒りがぶちまけられるそのわずか前、するりと滑 り込んできたのは大人しく座っていたセイミの、ヘックに比べてずいぶん繊細な 声であった。
「ねえ、その木の実なんだけど」
 得に突然というわけでもなかったにも関わらず、みんな不意を付かれたように 軽く目を見開いてそちらに視線を送れば、彼はまるで考え事の最中のようにじっ と机の上のティーカップを見つめながら、長い銀の睫毛を上下させている。そし て独り言の続きのように呟くのだ。
「ぼく、その木の実見たことあるかもしれない」
 沈黙が支配したのは、誰もがその言葉の意味を一瞬理解できなかったからであ る。ふと顔を上げてきょとんとするセイミに一番に答えたのはフェイブの穏やか な声で。
「セイミ、本当ですか?」
 直後、みんながみんないっせいに思い思いの言葉を口走りながら、間のテーブ ルの存在も忘れて前に乗り出したからたまらない。セイミは目を白黒させるし、 激しく揺れたテーブルの上でカップはひっくり返りかけるし。
 パツィムなど、セイミの肩をがっしと掴んでがくがくと前後に揺さぶりをかけ ながら、それこそツバを飛ばしそうな勢いで問い詰めた。
「どこで!?どこで見たんだよセイミ!!!!」
 半身避難していたフェイブが、ハイハイと悠長に助けに入る。
「はいはい、パツィム。落ち着いて。セイミの首が締まってますからねー。…… それで、セイミ?ムースリの気の実らしきものはどこで見たんですか?大丈夫? 話せます??」
 目を蚊取り線香みたくぐるぐると回して遠くへ旅立ちかけていたセイミは、大 きな深呼吸を2回して、なんとかウンウンと頷くことができた。視線はまだその 辺をうろついている。
「ええと、僕が赤くてトゲトゲの木の実を見たのは、ニルギリの森の奥なんだ」
「うんうん!それで?」
 ニルギリの森!まさにマギーの話の通り、ピッタリではないか。知らずみんな の手にも力がこもる。
「うん。それでね、詳しくいうと、マンドウさんの木の近くの、マンボウキノコ がいっぱいあるところを越えて、ちょっと広くなっている奥の道を行った空の見 える所なんだ」
「……………………………………………」
 誰もわからなかった。
「……………いよっしゃ!!とにかくそのマンボウがどーしたっていう場所に行 ってみようぜ!!」
「そうだわ!すごいじゃない、場所がわかっちゃったんだもの!」
「パン食い放題も目の前だな」
 やったやったと盛り上がるパツィムとフィーとクゥ、そしてセイミに、
ちょっと待て
 ドスの利いた低い声音を挟んだのは、言うまでもなく黒髪のカレであった。
鋭い視線が一刀両断するかのごとくジロリと4人を舐め、彼らはバンザイの体勢 のまま凍り付く。その辺の盗賊くらい余裕で追い払えそうなその眼力。胸の前で 腕を組み、ヘックはゆるりと口を開いた。
「そうやって不確かな情報でホイホイ出て行くからおまえらはいつも失敗するん だよ。いいか、悪いことは言わねぇ。今回はまず木の実についてよーく調べてか ら行け。図書館は夜までずっと開いてるだろうが」
 何故そんなにと問いたくなるほど威嚇するような脅すようなヘックの言葉を受 けて、パツィム、セイミ、フィー、クゥの四人は丸い目をぱちくりと瞬かせると 、未だバンザイのまま、誰が促すわけでもなく顔を見合わせた。視線は交錯し… …。
「ニルギリの森へ、いざ、しゅっぱーつ!!」
「まるで無視かよコノヤロウッ?!」
 そうして彼らはフェイブの実験室、ひいてはアカデミーを後にしたのである。








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