1.朝寝坊の学生寮


「ぎええぇぇえぇえっ!!」
 よく晴れた青空に踏みつぶされたヒキガエルのような声が響き渡ったのは、ペティア ガーラの街にその日二度目の巡回バスがやってくる少し前の、まだ朝の早い時間のことで あった。
 アカデミー学生寮の管理人マリアンヌ・デルドットが、おそらく寮の内部から聞こえた と思われるその奇声に、泡だらけの皿もそのままに慌てて小さな厨房から飛び出すと、 ちょうどそこへすさまじい騒音をたてながら、何者かがギシギシいう古い階段を転がり落 ちそうな勢いで駆け下りてきたところだった。
「あらまあ、あなた……フィー!?」
 思わずあきれたように声をかけると、フィー…この寮の204号室に住むフィーリイ ア・リム・ザクセンは、青い顔でもうすでに人気のなくなった寮の中を見回し、「マリア 〜〜〜」と情けない声を出した。
「あなたまだいたの?昨日夕食時にいなかったし、朝食にもおりてこなかったから私は てっきり昨日はアカデミーに泊まりだったのかと思っていたのよ」
 ところがどっこい、朝食に来なかったのは単に寝過ごしただけだったらしい。さくらん ぼ色の前髪の先は天井を向いていたし、裾の広がったスカートはそのまま寝ていたのかし わだらけになっていた。肩にしがみついたドラゴンの子のマナだけが、いつもと同じよう にキョトンとした赤い目でマリアンヌの顔を見つめている。
 朝早くに目を覚まし、朝食と、それから昼のお弁当まで自ら作り、余裕シャクシャクで 登校するフィーにしては大変珍しいことであった。
「ちがう、違うのよマリアっ。昨日は突然ミセスが「テストで赤点取ったやつは補習!」 とか言い出してむりやり居残りさせられてたの。帰ったの何時だったと思う!?1時よ1 時、午前1時!!ミセスってば何考えてんの。と思うでしょう!?分かるわ、あたしもそ う思うもん。徹夜で勉強するなら学校に泊まるのもいいかもしれないけど、さすがにあの シゴキの後じゃ、暖かいベッドで寝たいと……」
「あ――の―ぉっ!!あのね、フィー。とりあえず落ち着いて、あなたの気持ちはよ〜く 分かるわ。でも、その話は今度にしましょう。ものには―――」
 少女の怨みのこもった愚痴を強引に遮りそう言うと、マリアンヌは泡のついた手で、厳 かに廊下の端においてある大きな振り子の柱時計を指さした。
「優先順位があるわ」
 瞬間、時が止まった……ように思えたが、無情にも時計の長針が音を立てて確実に時間 を刻む。
「ぎゃあぁあああぁっっ!!!」
 もはや時計は巡回バスがやってくる5分前を指していた。
   東ゴパルダーラ地方唯一の公共交通手段であるバスに乗り遅れること、これは学校に遅 れることを暗に意味している。ちなみにそれは担任であるミセスの怒りをも意味していた。
「ま、ままマリアおばさん、あたし、いってきまぁあっす!!」
 それだけ言い残すと、一刻の猶予もなくしたフィーは大慌てでわき目もふらずにアカデ ミー学生寮を飛び出していく。勢いで振り落とされたマナが、置いて行かれぬようその背 を追って元気に空を駆ける。
 マリアが寮の門扉に行き「行ってらっしゃい」と叫ぶそのころには、その姿はもう豆粒 ほどになっており、あっという間に大きく角を曲がって消えていった。
「ふぅ……まったくあの子ときたら」
 ホゥッと一息つき、自分の泡だらけの手を見て食器洗いの途中だったことを思い出す。  しかし何となくそこに留まったままの寮管理人は、少女が消えていった角をぼんやり見 つめたまま、心の底から一言、ぽっつり呟いた。
「もうちょっと、女の子らしい叫び声は上げられないものかしらねぇ」
比較的どうでもいいことだったが言わずにはいられなかった。
行って来ます








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