4.先行き不安な彼女のお部屋

「私、心配なのよ」  ギィギィ軋む古い椅子に器用に足を抱えて座ると、うつむきかげんに彼女は言った。
「心配って……何が?」
「将来」
 ズバリ言われて、向かいの彼女のベッドにちょこんと腰掛けていたフィーは、ウッと大 きく身を引いた。膝の上でダラリとしていたマナの頭がことんと傾く。
「しょ、しょうらい!?」
「そうよ、将来が心配なの。とっても…」
 物憂げに溜息をつくマギーの頬に、髪と同じ小麦色の睫毛の影が落ちる。先のことなど カケラも考えたことのないいつも全力直球勝負のフィーは、「将来」というなんとなくス ケールのでかい響きに「シマッタ!!」と、気持ちいいほど青ざめた。
 あああ、とんでもない相談を持ちかけられてしまった。
 先ほど「何でも聞きます」などと軽く言ってしまった言葉が、今頃になって悔やまれる。 4つも年下のあたしが、彼女の将来についていったい何を語れるというのであろうか?!
(こ、こまった…)
 正直な話、相談などしたことはあってもされたことはロクにない。
 気まずい沈黙にバクバクいう心臓を抑え、フィーは額に滲む汗もそのままに、あはあは と無意味な笑顔を無意味にバラまいてみるしかできなかった。
 そんな少女の複雑な心の内などつゆ知らず、伏せた目で静かに床を見つめていたマギー は、抱えていた足をとくと、不意に、その膝に握った拳を叩き付けた。
「!!!??」
「まったく……私がこんなに心配しないといけないのも、みんなお父さんとお母さんのせ いなんだから!!」
「お、おじさんと、おばさん??」
「そうよっ」
 憤然と答えるマギーに、押されっぱなしで不必要にビビリっぱなしのフィーは、曖昧に 頷いた。
(ああ、老後のこととか―?)
 しかしどうにもしっくりこない。
「でも、おじさんもおばさんもすっごく元気だし、バリバリ働いてるもん。今からそんな に心配する必要ないんじゃない?そりゃあ、ずっと先のことは分かんないけどさあ」
 小首を傾げつつ、フィーは意外にもマトモなセリフを口にした。が、マギーはというと、 ぱちくり瞬きした後、怪訝そうに顔をしかめる。
「なに言ってんの、フィー。違うわよ、私が言ってるのはそういうことじゃなくて……。 だいたいあのお父さんとお母さんがちょっとやそっとでどうにかなるわけナイじゃない。 あんたも身をもって体感したでしょ?殺したって死なないわよ、あののんきな夫婦は!」  鼻息荒く言い放つ、親不孝者マギー・ワークスに、呆気にとられたフィーは、入れ歯の 抜けたお年寄りのように、フガフガと怪しい息をもらす。
「じゃ、じゃあマギーはいったい何がそんなに心配なのよ…?!」
 困惑するフィーを薄茶の瞳でしっかり見据え、キッパリハッキリ彼女は言った。
「体重」
「………………………………………………………………………………はあぁっ???」
「だから体重よ体重!!……いい?あの両親の姿は未来の私の姿なの。ああっ、私も今に どんどんどんどんどんどん太って、歩くより転がった方が速そうな、酒樽みたいな体にな っちゃうのよおおっ!!」
「…………」
 いきなりぐーんとスケールダウンした「将来の心配」に、ドッと疲れがおそってきた無 言のフィーには全く気づかず、マギーは握り拳を震わせ、がんがんとヒートアップしてい る。その口から飛び出すのは悪魔の言葉か、はたまた宇宙からのメッセージか…。
「マギー。……マギーってば、落ち着いてよお〜。あなた全然太ってないじゃない?そう いうこと心配するのって、あたしすんごく無駄だと思うわ」
 フィーは力なく言った。同時に、力のこもりまくったマギーの殺人視線が容赦なく突き 刺さる。
「無駄、ですってええっ!!あんたそれは今の私の食欲を知らないから言えるのよっ」
 知りません、そんなモノ。
「そりゃあもう、朝食も昼食も夕食も間食も夜食も、おいしくておいしくてたまらないの。 いくら食べても全然食べたりないし。…ああ、どうしよう?このままじゃ私、ハバも厚み もあっという間にお父さんとお母さんなみに……ってあら、フィー??」
 突如、何の前触れもなくフィーが立ち上がった。子猫のようにマナを抱き上げ、すたす たと戸口に向かいながらサックリと一言。
「帰る」
「―――ぁああぁああっ!!」
 座っていた丸椅子を蹴り飛ばすと、脊髄反射としか思えない素早さで、マギーはドアノ ブへとのばしたフィーの手にかじりつく。
「話はまだ終わってないわよ!人が話してる最中に席を立つなんて失礼でしょーがっ」
「帰る、あーもぉ絶対帰るっ!!帰って寮でマリアとバスが来るのを待つー。そういえば、 もとはといえば遅刻したのマギーのせいなんだからぁっ」
「分かった、…分かったそれは私が悪かったから。話は最後まで聞きなさいよ」
「な…にがっ」
 フィーはぐっと腕に力を込めると、勢い良くマギーの手を振り払った。彼女より10セ ンチは低い身長にそぐわず、このお嬢様崩れ、なかなかどうして力強い。
「そんな話聞いたってしょうがないでしょう!?あたしにはどうしようもないんだもんっ。 ……もー、いったいどうしてマギーはそんなにあたしを引き留めるのよー」
 こんな疲れるパン屋さんにはもう居たくないーと、駄々をこねる子供のように暴言を吐 くフィーの頭を少し高い位置から見下ろすと、マギーは腕を組み、やれやれと、わざと尊 大な調子で、
「どうしようもなくなんかないわよ」
 ツンと一言、言い放つ。
「ふえ?」と思わず顔を上げたフィーの若草色の瞳を同じ高さですかさずのぞき込み、 「名門マジックアカデミーに通ってるフィーに」と、そのへんを強調して発音しながら、 「お願いしたいこと……頼みがあるの。そう、始めから言ってるじゃない?」
 優しく艶やかな声で最後に付け加えたその言葉に、一瞬間をおいたものの、素直にこっ くり少女は頷いた。その様子に満足げに微笑むと、マギーは組んでいた腕をとき、貴族の ように優雅な所作で大して広くない彼女の部屋の使い古したベッドを指し示す。
「ね……最後まで、とりあえずでも、聞いていってくれるんでしょ?」
 数秒、そのままの体制で口を尖らせていたフィーだったが、しぶしぶそちらへ向かうと、 おとなしくキルトのベッドカバーの上に腰を下ろした。その後に続いて、堂々とした笑み を浮かべたマギーも見事にスカートの裾をさばき、自分の椅子に腰掛けようと―――ムッ として蹴倒した椅子をおこし、…とにかく見事な具合に腰掛けた。
 なんだか、ものすごく腑に落ちないんだけど。この状況。
 結局、本気で寮に帰ろうとしていたあたしがここにこうして座っているのは何故なのだ ろうか。
 ニコニコしているマギーを正面に、眉をひそめ首を傾げながら、フィーは心の中で盛大 に溜息をつく。
「なんだかなぁ」
 ひっそりとしたそのつぶやきは、果たして彼女に対してものもだったのか。それとも自 分についてだったのか。


 簡潔に話せばいいんでしょ、と始まったマギーの単刀直入なその言葉は、フィーの中に すんなり入ってくる、やけに自然なものだった。日常生活の延長とでもいうべきだろうか、 一日の最初に「おはよう朝よ、起きなさい」と言われるような、そんな感じ。
「ニルギリでムースリの木の実を探してきてほしいのよ」
 そう、マギーは言った。
「ムースリの木の実?」
「そうよ。知らない?」
「さあ……聞いたことないけど」
 てっきりバカにされるか呆れられるかするかと思ったが、当のマギーはというと「そっ かー、アカデミーの学生でも知らないような木の実なんだ」とむしろ嬉しそうに相好を崩 している。
「ねぇ、アカデミーの生徒が知らないってことは、その木の実、けっこう貴重だったりす るのかしらやっぱり」
「……………あ、はははははは。ど〜だろねぇ?」
 『フィーが知らない=(イコール)アカデミーの学生が知らない』となる確率はどこま でも果てしなく低いのであったが、喜んでいるマギーにわざわざそれを告げるのも非道で あろうと、賢明にもフィーは適当に笑って誤魔化した。だいたい『アカデミーの学生が知 らない=貴重』という考えも、なかなか怪しいものである。
「それで、何なのよそのムースリの木の実って。ニルギリの森に行けってことは街では売 ってないってことでしょ?なんに使うの、そんな実」
 度々ニルギリの森で授業に使うキノコや木の実を集めているフィーにとって(ただのバ ツ当番ではあったが)セイミほどではないにしても、それは興味のわく話である。ついつ い前傾姿勢で尋ねると、しばらく生真面目な顔でパチパチ瞬きしていたマギーは、ついに 堪えきれなくなったという具合に「むふふふふ」と不気味に微笑んだ。
「――――――え、っと、今日は天気がいいけどその後調子はどうなんだいマギー」
 機械のようにカクシャクと、思いっきりあさっての方向に話題を変えようとするフィー の心の内など全く気付く様子もなく、「みなまでいうな」みたいな感じでぽふぽふとフィ ーの両肩を叩くマギー。
「わかった。…分かってるわ。もちろん最初から、一つ残らず話してあげましょう。私が ムースリの実を初めて手にした、あの日の夜のことからね」
 その時、召喚士見習いの少女は強く思った。
(ああマギー、あなたが何が分かったんだか知らないけど、あたしが分かったことはただ 一つよ―――)
 急いでいるときと疲れているときは、このパン屋「陽気な田舎亭」に近寄ってはいけな い。もう二度と。
「あれは今からちょうど一月ほど前の、綺麗な三日月の夜だったわ」
 朝の光がゆっくりとその眩しさを失い、高く柔らかになっていく中で、マギー・ワーク スの少々奇妙な話は、そんなふうに始まった。






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送