5.不思議な木の実と夜の街(後)


ベットの上の少女のほうっと息をつく音が、狭い部屋いっぱいに響いた。
「それで……結局どうしたの?」
「買ったわよ。結局……」
「へぇっ、じゃあ食べたんだ。………マギーが?自分で?!」
「そうよ」何いってんのよ当たり前でしょう、みたいな顔で頷く彼女。
「………そうなんだ。マギーってば意外とチャレンジャー」
絶対に毒味をさせなければ食べないタイプと思っていたが。
「他の人に食べさせるわけないわよ。その実、いくらだと思う?!1個500ロ ワンだっていうのよ!まったく人のいい顔してぼったくりなんだから、あのバカ 商人」
「ええっ、500ロワン?!高っ!!」
物によって違いはあれど、普通の木の実なら大きな麻袋に2つは買える値段であ る。思わず大声を上げたフィーに、そうでしょうと鼻息荒くマギーは頷いた。
「珍しいとか貴重だとかなんとか言って、たかが木の実に非常識なのよ。まあ、 でも290まで値切ったけどね。ほほほっ、ザマーミロだわ!」
「………………そう」
さすがは「田舎亭」の豪傑娘マギー・ワークス。多少意表を突かれようがからか われようが、その根拠のない自信と強気はとどまるところを知らず、似ても似つ かないお人好しの両親の豊満なお腹まわりよりもずっと…ずーっとでかい。そん な彼女が、一見お嬢様風の可憐な容姿であるせいか、それともその外見と豪快な 性格のミスマッチングが受けるのか、意外にもモテたりするから世の中わからな いものである。
(よりによって、マギーだもんなぁ…)
他にお客になりそうな人はいただろうに、フィーはそのナゾの商人をとても気の 毒に思った。
「それで、一個丸ごと食べてみたんだけどさ…」
「あっ、そうよ。そこが一番肝心なところじゃないの!…なに?どうだったの? ?」
「うん、グロテスクな見かけの割に、あっさりして美味しかった」
「で?……それで??」
ぐっと握り拳に力を込めわくわくと尋ねるフィーに、「ぐふふ」とアヤしくマギ ーは微笑んだ。
「おっ、おお〜〜〜〜っ!!?」その顔はまさしく!?
「やったわ!やりましたとも!!」別にマギーが何かやったわけではないだろう に、手には輝くVサイン。
「一週間じゃ体重はそんなに落ちないんだけど、明らかに減ったのよ!食べる量 が!!」
「へええぇーっ!木の実を一つ食べただけで、そんなに減るもんなのぉ?!」
「うん、それがね…」
興奮のあまり立ち上がって手を掲げていたマギーは、とりあえず座り直したが、 勢いはおさまらず大きく身を乗り出した。
「なんだかお腹が減らないのよ。腹持ちがいいっていうの?いつも何か食べたあ とみたいな感じなの。だけど食べ物を見るとやっぱり食べたくなるでしょ?で、 食べるんだけど、お腹が減ってるわけじゃないからそんなには入らないわけ。そ れで、結局はね…」
「うんうん」
「一日どれくらい食べたのかって言うと、これが平均的な食事量になっているの よ!!」
「ええーっ、それでも平均的な量を食べちゃうんだ。すごーい」
「…………あ゛ぁっ!?」
「………えっと、すごーい木の実…よね」
どすの利いた声ですごまれ、フィーはおとなしく保身に走った。マギーに逆らっ ても担任のミセスほど悪いことはないが、ミセスほど怖くはないとはなかなか言 い切れない。
もちろん、ミセスの恐ろしさは格別ではあるのだが。
「それで、さあ。さっき"ニルギリで採ってきて"って言ってたのが、そのムース リの実なんでしょ?買ったやつはもう全部食べちゃったの?」
いくらか元気になったのか、膝の上で頭を上げぼーっと瞬きしていたマナの背を 撫でながら、フィーはさりげなく話を元に戻す。マギーはすぐに怒るが、その怒 りは全然根深くないのですぐに怒っていたこと自体を忘れてしまうらしい。コロ リと表情を変え足を組み直すと、あっさり問いに答えてくれた。
「うーん……というかね、一月前、一番最初に会ったときは1個しか買わなかっ たのよ。高かったし、そんなにたくさん買えるものでもないでしょ」
「えーっと?」彼女の言葉に何となく引っかかり、
「それって、また別の日に商人さんが木の実を売りに来たってこと?」
小さく首を傾げながら尋ねてくる年下の少女に、マギーはすまして片目をつぶっ てみせた。
「そうよ。それも真夜中に、またあの窓からね!」


『どーもぉっ。さすらいの物売りでーす』
あの時から一週間と一日後、店の帳簿がどうしても合わなくて夜なべして計算し てたとき、狙い澄ましたようにまたそいつはやって来たの。
『先日買っていただいた商品はどうでした?宜しかったら少しばかり在庫があり ますけれど』
潰れたとんがり帽子を胸に当てて膝を折りながら、忠実な従者みたいにやたらと 慇懃に会釈したりするから、
『そうね、じゃあいただこうかしら。使ってみて悪くはなかったことだし』
こちらも王侯貴族のような尊大さで、ツンと鼻を上に向けて言ってやったわ。
目があって、思わずお互いに吹き出しちゃったけどね。
『はは、相変わらずだね、お嬢さん。また会えて嬉しいよ』
よく言うわよ。自分のほうが相変わらずのくせに。
そいつは一週間前と何一つ違わずまったく同じ格好で、やっぱり背中の荷物入れ にはヤカンがぶら下がっていたわ。
『ええ、私は相変わらずよ。……その木の実、250以下の値じゃなきゃ買わな いから』
文句を付ける代わりにピシャリと私が先制パンチを決めてやると、物売りは荷物 の中から木の実の入っているらしい袋を取り出そうとしていた手を止め、ニッと 口の端を引き上げた。目は全然笑ってなかったけど、まぁそれは私も同じことよ 。
バチバチと黄金色の火花が散ったところで――戦闘開始。
『お代は一つ500ロワンになります、お客様』
『だから250!』
『せめて490!』
『なーに言ってんのよ、この前は290だったでしょおっ!?』
『バカ言うなよ、この前のは初回お試し大サービスだぞ、490!!』
『木の実1個が490ってことあるもんですか。ギリギリ譲って300!!』
『この木の実どれだけ手に入りにくいと思ってんだよ、まけて485!!』

 ……とまあ白熱した結果、紆余曲折を経て378ロワンに落ち着いたというわ けなんだけど…。
『はあ〜、なんかここに来ると、しばらくぶんの力、使い果たすよなあ〜』
窓辺に寄りかかり革袋にコインをしまいながら、全力疾走した直後みたいにへろ へろと、物売りは息をついたわ。
『そう?私は心持ちスッキリした気分だけど』
もっと言えば、スッキリというよりむしろウキウキした気分だったわね。だって これでまた食事に気を揉まなくてもすむんだもの。しかも今回は物売りが持って たムースリの実を全部!、4個もまとめて買ったのよ。一ヶ月まるまる全部安心 になったってわけ。もちろんとっても高い買い物だったけどね。
『今度会うのはまた4週間後ね。そのときは私、今よりずっとスラッとしてると 思うわ』
木の実入りの袋を机に広げていた帳簿の上に置いて、はずむ声で窓のほうを振り 返ると、ランプの明かりの向こうから『あっ』と思わず口をついて出たような言 葉と、それから帽子の鍔の先がちょっとだけ見えたわ。
『そっかぁ。……そうだよなぁ』
『なによ。何が"あっ"なの?』
明かりの影で腕を組み何かブツブツ言ってる物売りに、窓から首を突き出してそ う尋ねると、そいつはチラリとこちらを見て何か言葉を探すように口を開いたり 閉じたりしてたんだけど、不意に背中をあずけていた壁から離すと、改めて真っ 直ぐに向き直ったの。
『なっ…何なのよ』
『それがさ………実はね』視線はあっちに向いたまま、実に言いにくそうに、 『おいらこれからちょっと遠くまで行商に出かけるもんだから、しばらくこっち には戻れないんだ』
頬をかきかき、のたまったのよ。
『なっ……』
何ですって、とは言葉が続かなかったわね。まさに絶句ってヤツよ。
『いや、まあ一年以内にはゴパルダーラに帰って来るんだけどね。…とりあえず 、4週間後は、ちょっとムリかなぁ〜って』
――こんなヒドい事ってあるかしら?!
私はもう頭が真っ白で、物売りがさらに何か言ってたみたいだけど、もうそれ以 上耳に入らなかったわ。
だけど、こういう時、人は無意識でも行動できるものね。茫然としている私の顔 をおそるおそるのぞき込んでいた物売りの襟首を0.1秒の逃げる隙も与えずひ っ掴むと、気が付いたときにはすでにギリギリと力の限り締め上げていたわ。
『ぐええぇえぇっ!!…やっ、やっぱり、怒った……』
『あ・た・り・ま・え・でしょ〜があぁっ!!あんたねえ、"戻れない"で許され ると思ってんの?!こっちは一生かかってんのよ』
『…わ……わがった。……わがっだ、がら…』
『分かってないわよ!!あんたそれでも世界一の商人なの?!何としてでも4週 間後に来てもらわないと困るわけっ、何としてもッ』
『…………………………………………………………ぎ、ぎぶっ』
『はぁッ、何ですって?!ギブアップですむなら世の中に………って、あれっ? ?!』
ぎゅうぎゅうとありったけの力を込めていた手が何でか突然、何の前触れもなく 、よ。空を切っていたわけ。今の今まで物売りが居て、手にヤツのくたびれた服 を握っていたっていうのに?!忽然と、霞みたいに消えてしまっているじゃない の。私は思わず呆然として、ただただ自分の両のてのひらを見つめることしかで きなかったわ。
ずいぶん長いことそうしていたようにも感じたんだけど、実際はほんの僅かな時 間だったみたい。すぐ傍でゲヘゲヘとむせる男の声で私は我に返った。
『あんた…っとに乱暴だな、もぅ。気だけじゃなくて力も強いんだから………… 何だよ?』
大げさにぜーぜーと肩で息をつきながらぶつくさ言ってたそいつは、私がどんな に手を伸ばしても届かない場所までちゃっかり避難して、恨めしげに白い横目を こちらに向けたわ。たぶん私の疑念に満ちた熱烈な視線に気付いたからね。失礼 にも更に後ずさりなんかしてさぁ。私は眉を寄せて睨み付けるようにそいつを見 据えたまま、
『あんた………魔法使いね?』
訊いてやったわよ。ええ、ハッキリと!あんな真似されたらいくら一般人の私で もピンとくるってもんでしょ。私だって、だてに「マジックアカデミーに一番近 い街」に暮らしてるわけじゃないわ。それだっていうのにあの商人ときたら!肩 なんか竦めて白々しく言うのよ。
『さぁて?魔法使いが物売りやってるなんて話、おいら聞いたことないけど』 『あたしだってないわよっ!けど今あなた魔法使ったでしょう?!だいたいあん たって人は…っ』
こうなったら苛立ち紛れに、有ること無いこと難癖付けてやろうと思って…だっ て文句付けられるとこなら山のようにあるんだもの。それで勢い込んで片足踏み 出したところ、ただならぬ気配を犬みたいに敏感に感じ取ったらしくて、『あ〜 !』とすっとぼけた声を上げながら、そいつは慌てたように……ビシリと私を指 差しながら、『ムースリ!』 とっときの呪文を口にしたわ。途端に口ごもらな いといけなくなるのは今度は私のほう。………ええ、そうよっ。悪かったわね! すっかり忘れてたわよ。
男はとりあえずホッと胸を撫で下ろすと、背が高いくせに上目に私を伺い見て、 そしてゆっくりと胸を張って鼻を上に向けた。
『確かにおいらは4週間後にムースリの木の実をあんたに持ってくることは出来 ない』
…………なにを今さら開き直ってんのよコイツわっ!!!
ブチキレそうになる私をぴっと伸ばした細くて長い人差し指一本で封じると、あ の大きくてちっとも似合わない神秘的な紫の片目を、悪戯な子供みたいにパチリ と閉じるの。そうね、濡れた露の香りがした気がしたわ。
『おっと、まあ待てって。――持ってくることは出来ない…けど、採れる場所を 教えることができるんだぜ。とっておきの秘密の場所…だ。ああ、ムースリの実 のなってる場所をさ!』


「……んで、その場所がニルギリの森の中だったってわけね」
「そうなのよ」
思いの内と、誰かに話したくってしょうがなかった件の事件をすっかりぶちまけ て、いまやスッキリ爽快のマギーは、ほくほくと満足気な笑顔で頷いた。なんだ かずいぶん遠回りした気もするが、つまりはそういうことなのだ。しかしまぁ、 なんて奇妙な話なのだろうか。これが超現実主義のマギーの話ではなく、例えば セイミの話だったとしたら、寝ぼけてたんでしょうと一蹴したに違いない。
魔法を使う商人だなんて、そんな無駄な話をフィーも聞いたことがなかった。魔 術の総本山である万年人手不足のマジックユニオンが聞きつけようものなら、泣 いて飛びつくのではなかろうか。そして、その不思議な商人のさしだしたこれま た不思議な…マジックアイテムみたいな木の実。
「……あ………」
キルトのベッドカバーに半ば埋もれた足に肘をついて、小難しい面持ちを支えて いたフィーは、不意にふと顔をあげる。不思議といえばもう一つ。
「ムースリの木の実、ある場所までわかってるんだもの。マギーが自分で取りに 行けばいいじゃない」
首を小さく傾けてそういうフィーに、予想どおりマギーはとんでもないと大げさ に目を剥いてみせた。……そう、これなのだ。
この街のほとんどの人間は、何故か極端にニルギリの森にはいることを嫌う。余 所者のフィーからしてみれば非常に不可解なことだった。しかし現にこの勇猛な パン屋の娘が、ことニルギリとなると顔を顰めて身を小さくしているのだから。 (あたしからすれば――…)と少女は思う。
(ニルギリに住んでるどんな生き物よりも何よりも、マギーのほうが100倍コ ワイわよ)
「だから、フィーっ!!!」
「うあ、はっ、はいっ!!」
唐突に両肩をガシリと掴まれて、…考えていたことが考えていたことだっただけ に、フィーは口から心臓が飛び出しそうなほどギョッとしたが、対する彼女はそ んなこと気にする余裕もないほど極めて真剣に、切羽詰まった表情を隠すことも なく、瞳をのぞき込んでくるのだ。
「笑い事でも冗談でも魔法使いのオナラでもないのよっ。私は本気なの。だから 、ねぇフィー。人助けだと思って。お願いよ―――」
「マギー…」
 魔法使いのオナラって、ナニ?








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