1:グレン

空は高く、青色に澄んでいた。
5月。オレンジの花の季節。
寒暖の変化が緩やかなロワノルン王国オレンジバレーには、うららかな春と、すぐに訪れる夏の予感がすでにどっしりと腰を据えて居座っているようであった。
晴れ渡る空とゆったりと流れる雲、それから乾いた風にはためく真っ白な洗濯物。甘酸っぱいオレンジの花の香り――そんなものに人々はささやかな幸せと、豊作への期待を感じているのだろう。どちらを向いても柔らかい笑みが口元から絶えないような、穏やかな午後のこと。

何事にも例外があるように、すべてが幸福のためだけにあるこんな日からも完璧に取り残されて、世界の終わりのようなどん底の顔をしている者の一人や二人、必ずいるものである。
オレンジバレーの中流貴族、トードリアス家は末娘、プリシラ・トランシス・トードリアスはその中の一人といってまず間違いなかった。
開け放った窓から入ってくるのはよく手入れされた庭園から来る華やいだ風であるのに、そこに座った少女の表情といえばまるで生気がなく、虚ろな瞳はただぼんやりと静かな景色を映しているだけ。
放っておけばそのまま空気に溶けて消えてしまいそうな彼女の様子に、深い一礼と共に部屋に入ってきた男は息を飲み、思わず足を止めていた。年若いときからこの家に仕える使用人である。入り口付近でうっかり立ち往生してしまった彼は、大きな深呼吸を二度してやっと再びプリシラの元へ歩き出しすことができた。存在を主張するように大きな足音を盾ながら、努めて明るい声を出す。
「プリシラお嬢様、オレンジの花の茶をお持ちしました」
「いらない」
沈んだ声で即座に断られた。
ウッと踏みつぶされたかのように呻き、青ざめる長身の使用人。がっしりとした体格に、優美なティーセットの乗ったトレイがまるで似合わない。
「しかしお嬢様、オレンジの茶はリラックスできて心が落ち着きます。メイドのジャスティンはストレスにもとてもいいと言っておりました」
「じゃあグレンにあげるわ。あなたが飲めば?」
「いえ、私はすでに3杯もいただいていますので…」
「わたしは……!」
とそこで、使用人グレンの言葉を遮って、これまで見向きもしなかったプリシラは始めて顔を上げた。少々きつめの青い瞳。
「8杯目よ」
「……………」
持ってきたのはすべてこの男である。
「……も、申し訳ありません。気付きませんでした」
気付かないにもほどがありますが。
ただ、気落ちして抜け殻のようになった主人をじっと見ているだけではいられなかった。自分にできることをと考えたとき、思いついたのは茶を運ぶことくらいのものだ。
グレン。三十路に突入するのも時間の問題の29歳独身だったりする。
「ではお嬢様、エイダが作った焼き菓子だけでも食べられませんか?見てください、お嬢様の好きなオレンジ・ウォーターの……」
しかしそのお嬢様、ふいと顔を背けて庭に空虚な視線を向けると、それきり、今度はもう返事も返してくれなかった。
ああ、これがあの、「パンも野菜もいらないわ。私はお菓子しか食べられないのよ」ととんでもないことを言い出し、食事の時に1時間もだだをこねていたプリシラお嬢様だろうか。グレンはがっくりと肩を落とした。
彼女がまるで人が変わったようにふさぎ込んでいる理由は、考えるまでもなく分かっている。
シュタイン家嫡男アーノルド・アルス様のご婚約―――。
何かにつけてアーノルド、アーノルドとぺったりだったプリシラだ。突然降って沸いたような彼の結婚話は相当にショックだったのだろう。アーノルドが満面の笑みで報告に来たその日から、目に見えてプリシラの顔色は悪くなっている。
(まったく、あの御方はのんびりされているから―――…‥)
気付いてないのは当のアーノルドくらいのものだった。
グレンは暫しプリシラの白金の巻き毛に目を落とし、それからゆっくりと腰を折って一礼すると踵を返した。悔しいが、今のプリシラに自分がしてやれることは"そっとしておく"ことくらいしかないのだ。
なんという不甲斐なさ!赤ん坊のお嬢様を初めて目にした13の時、この方の幸せは自分が全力でお守りしようと心に誓ったというのに。
すんばらしい騎士道精神で己を責め苛みながら、一介の使用人グレンがプリシラの部屋を出ようとドアノブに片手を伸ばした……
そのときであった。
どどどどっどどどっどどどどどどどどどどどどどどどっどどどっどど……………。
どこか遠く、地鳴りが響いて反響していた。
地鳴り?――否、違う。グレンは扉を引こうとしていた手をぴたりととめた。
音は振動しながら徐々にこちらへと近付いてくる。プリシラの部屋のほうへ……。
どどどどっどどどどどどどっどどどどどどどどどどどっどどどっどど……………。
グレンは端正な眉根に皺を寄せて瞳を閉じ、全神経を耳とノブにかけた手に集中させた。もうすぐそこまで近付いてきている。そして騒々しい音と明らかな気配がすぐそこまで、戸一枚隔てたそこへとやって来るのを確認したその瞬間、
グレンは勢いよく扉を開いた―――!!!






プロローグ

 



グレン

 



リー

 



届けられた手紙

 



がんばれ使用人

 



2人の花嫁
もしくはアーノルド

 




戦闘開始(前編)

 



戦闘開始(後編)

 



パーティを
ぶちこわせ(前編)

 




パーティを
ぶちこわせ(後編)

 




まけるな使用人

 



最後の仕掛け

 



5月の花嫁は
曇天に涙する

 






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