6:戦闘開始(後編)

 結局誓いの口付けはうやむやのまま行われず、アーノルドがおたおたしただけ で終わってしまった。
 新郎新婦が動揺というよりむしろホッとしているのが気にくわなかったが、客 席は十分すぎるくらいザラリとした不安の色を浮かべていたので、まあ良しとし よう。

 中庭から屋敷に入って少し奥まった場所にある部屋。誓いの儀の行われている その部屋の、高い窓の外側にリーは居た。石組みのわずかな出っ張りに足をかけ 、サルかコウモリのように器用に張り付いた外套の男は、外から見たら恐ろしい ほど目立っていたが、中からの視線には上手く身を隠し、影さえろくに落とさず にいた。もっとも屋敷の壁がお互いに死角を作っていたので、外からだってよほ ど気をつけて見ないと気付かなかったに違いない。
「ったく、邪魔したオレが言うのもなんだが、アーノルドもばかだよな。あんな 美人とキスできるチャンスだったってのにおたつきやがって。欲のねーヤツ」
 結婚する相手にチャンスもくそもあるわけなかったが、幸か不幸かツッコむ者 がここには存在しなかった。仮面越しに中の様子を窺いながら、リーはふと真剣 に考える。
(しかし、それにしても今日のアーノルドは変だな)
 結婚式で舞い上がっている……としてもやはり変だ。
 ときどき意識が飛んだように立ち居振る舞いが雑になる。特にあの足元。覗い たとき3回に1回はがに股になっているのが気になってしょうがないではないか 。普段のアーノルドなら考えられないことだ。
「あれじゃオレと変わらねぇぜ」
 一応自覚のあるリーであった。

 さて一方、結婚式は予定にカケラもなかった“全員起立の大合唱”もそろそろ 終わろうとしてるところだった。皆が困惑顔でオレンジの収穫を喜ぶ土地の歌を 季節外れに歌うその背後で、シュタイン家の使用人が血相を変えて例のものを探 しているなどと、誰が思い至っただろうか。
 例のもの。
「へっへっへ。いくら探したって無駄だぜ」
 なぜならそれは、……彼らが必死になって探しているその「もの」は、リーの 懐の中にあるのだから。
 胸の内ポケットの中、革の小袋には華奢な白金の指輪が4つ。おそらく偽の結 婚式に用意してあったぶんも合わせて、結婚指輪4つ、すべてちょろまかしてや った。
「これが無けりゃ式も進まねーだろ」
 ああ、自分は結婚式妨害の天才ではなかろうか、とリーは愉悦に浸る。もしか したらこれだけで人生やっていけるかもしれない。
 歌もついには歌い終わり、参列者はぱらぱらと着席した。壇上に立った町長が まるまるした頬に浮かんだ汗をハンカチでしきりに拭いながら、手頃な場所にい た使用人を目配せして呼び寄せている。
“どうだ?”
と声を低めて尋ねる彼に、渋々近付いた使用人はきっと悲愴な顔でこう答えてい るのだろう。
“まだです。まだ指輪は見つかりません”
「指輪が、ない?」
 聞こえるはずのない内密の話が突如実際に音となって耳に飛び込み、リーはギ ョッとして目を見開いた。落ち着いたアルトの声の主は、探すまでもなく町長の すぐ脇に立っていたエレーン嬢である。
 驚いたのはもちろんリーだけではない。何か変だと首を捻っていた客人たちは 海の表のようにどよめきだし、町長は顔を真っ赤に染めた。
「エ……エレーン殿、いったい何を………」
 なんとかその場を治めようと躍り出たのは明らかに一番焦っている町長だった が、彼を差し置いて一気に注意を引いたのは意外にもアーノルドののんきな声で あった。
「ああ。なんだ、それなら……」
 ポーンと軽く両手を打って、にかりと威勢良く笑うと、青年はまるでそんなこ となんでもないと言わんばかりに腕を一回しし、
「ここにある…マス」
 何気なく差し出したてのひらの上に、蝋燭の光を受けて白く光る小さなものが 。
(――――ッ!!?)
 リーは目を疑った。あまり勢い良く身を乗り出したので、危うく額を窓にブチ 当てるところだったくらいだ。
 アーノルドの手の中にはごくシンプルな指輪が一つ。それはどんなに目を凝ら してみてみても、あの結婚指輪なのである。あの、リーが盗んだ、白金の、結婚 指輪だ。
「おいおいちょっと待てよ」
 呆然と眺める以外に、このとき他に何ができただろうか。
 さらに。
「ここにもある」
 なんとここで花嫁の手にも燦然ときらめく結婚指輪が。
 嘘だろう!?
 だってあの4つの他にそれらしい指輪なんてどこにも置いてなかったじゃない か。こんなこともあろうかと、どこかに隠してあったとでも言うのだろうか。そ れとも……。
 まさか。
 ………ま さ  か  。
 錆びたようにギシギシいいながら視線は胸元に落ちた。
 窓枠を片手でガシリとつかんで体を支えると、リーは素晴らしい素早さで外套 の下から革の小袋を引っぱり出した。口を結んだ紐を噛み千切り、逆さにして思 い切り振る。
 振る。
 もっと振る。
 力の限り振ってみる。
「………………」
 チリ一つ出てこなかった。
「……どういうこと?」
 窓の中で指輪はアーノルドの薬指へ、そしてエレーンの長い指へとすっぽり収 まり、場は途中何事もなかったかのように暖かで和やかな良い雰囲気に包まれて しまっている。緊張から解放された町長が感極まったかのようにウンウンと何度 も頷いているのがリーからも見て取れた。新郎新婦の左手に、揃いの結婚指輪。
 なんてことだろうか。予定外にさっさと、本当に結婚してしまった。
 狐につままれたようにあっけにとられていたリーの内に、次第に笑いが込み上 げてくる。
 決して大きな声は漏らさず、肩をふるわせひーひーと笑い転げた後で、ゆっく りと上げた瞳に宿していたのは紛れもなく、ぎらぎらと燃えるような闘争心。
「何が何だか分からねぇが、やぁるじゃねーかよアーノルド」
 だがな、このままで済むと思うなよ。
 シィンと硬質な音をたてて、不敵に口元を歪めたリーは腰の短剣を抜いた。な に、結婚しようがなんだろうが、とにかく最後に花嫁が恐怖するだか何かして、 嫌がらせに屈すればいいというだけの話なのだ。

 招待客が拍手喝采する中、アーノルドは少し得意気に、エレーンは相変わらず 凛とした様子で腕を組み、2人は退場しようと歩き始める。空に、床に、純白の 花弁がぱっと舞い、そして。
「はーっはっは!くらえ、誓いの儀式最終兵器発動!!せいっ」
 振り下ろした短剣は、最後に残った1本のロープを寸分の狂いもなく断ち切っ た!
 直後、ロープの尾の消えた通気口の先に訪れたのは、海の底のような沈黙。― ―否、沈黙とも思えるほどの、雷のごとき轟音である。
 バリバリと空気を振動させて床に叩きつけられたのは、天井より下がりしシャ ンデリアの一つ。小振りとはいえ、人ひとり分の重さなど軽く越えそうなシャン デリアが、その全体にグルグルとロープを巻き付け、床の上で果てていた。
 落ちてきたのだ。
 これが。
 誰も…反応することができない。石ころほどに、動くこともできない。
 それは蜘蛛の巣のように絡み付いたロープのおかげで、派手に飛び散ることも 誰かを傷付けることもなかった。けれど落下したのは新郎新婦がまさに歩こうと していた通路の上である。彼らがほんの数歩、先を歩いていれば……もしかした ら………。
「キャアアァアァァァーーッ!!!」
 誰かの上げた悲鳴が今更のように滑稽に響き渡った。それを機会に招待客の金 縛りが解かれ、緩やかに恐怖とおののきが広がっていくのを、まるで絵画でも鑑 賞するかのように目を細めてリーは見つめていた。どうだ、見たかと言わんばか りに鼻を鳴らして。
「まだまだ。これじゃ終わんねぇぜ、貴族様方」
 薄茶の視線の先にとらえるのはアーノルドとエレーン。棒のように立ち尽くし て、ただ、シャンデリアの残骸を見下ろしている。仮面の男はくいと口角を引き 上げた。
「まだまだだぜアーノルド。そしてエレーンお嬢様!」


 しかし―――。
 しかしこのときリーは見落としていたのだ。
 あることに気づけないでいた。
 砕けたシャンデリアが人や並んだ長椅子だけでなく、磨き込まれた床にさえ… …傷一つ付けてなかったことを。





プロローグ

 



グレン

 



リー

 



届けられた手紙

 



がんばれ使用人

 



2人の花嫁
もしくはアーノルド

 




戦闘開始(前編)

 



戦闘開始(後編)

 



パーティを
ぶちこわせ(前編)

 




パーティを
ぶちこわせ(後編)

 




まけるな使用人

 



最後の仕掛け

 



5月の花嫁は
曇天に涙する

 






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送