9:最後の仕掛け

 プリシラの鎧作戦――失敗。
 ケーキ爆発――失敗。
 矢の仕掛け――失敗。
 失敗。
 失敗。
 失敗……。

 リーの書いた仕掛けメモを凝視して、グレンはぶるぶると打ち震えていた。何と いう事だ!端のほうがギザギザになった紙片は、今や失敗済みの仕掛けに埋め尽 くされて、ただの紙くずに成り下がろうとしている。こんなはずではなった。
 こんなこと、あってはならない状況だったのだ。これではアーノルドとエレー ンは本当に、本当に結婚して夫婦になってしまう。プリシラお嬢様はいったいど うなる!?グレンは身震いした。思い出したくもない、窓辺で抜け殻のようにな ってしまったお嬢様。
(まだだ!まだあきらめるわけにはいかん!)
 そうだ。まだ終わったわけではない。
 上から下までずらりと失敗の並んだ仕掛けメモには、最後の一行が残っていた 。正真正銘、最後の仕掛けだ。小さくて汚い字でにょろにょろと書かれていたた め今まであえて気に留めていなかったが、これこそが特別で最も恐ろしい仕掛け に違いない。
「このグレン、命に代えても絶対に成功させてみせます、お嬢様!!」
 騎士かぶれのグレンは大げさに息巻くと、握りしめすぎてシワだらけになった メモを丁寧に引き伸ばした。鼻先に近づけて、真剣なまなざしで見つめること十 数秒。
「…………………!!!」
 グレンの背後に稲妻が走った。(視覚効果)
(こっ……これは―――――!!!)


「これはやっぱ、マズい、よなぁ」
 一方その頃、リーもまた自分用の仕掛けのうつしを前にして悩んでいた。残っ たのは最後の一文のみ。はっきり言って、あまった部分に付け足した、ただの冗 談である。これを見たグレンを、本気の顔をしてからかってやろうと思っていた 。
 しかし今、合流するはずだったグレンはおらず、作戦は失敗続き、宴はたけな わときている。正直エレーンの動きが不気味でならなかったが、プリシラのこと を考えるとどうしてもこのまま終わるわけにはいかない。もうあんなわがまま一 つ言わないお嬢はたくさんだというのだ。
「マズい……けど、やるより他にねえな!」
 このくだらない冗談を。リーは炎の宿る瞳をあげて、仕掛けメモを真っ二つに 裂いた。もう一度、もう一度。千々に破り捨ててその場を立ち去る。
 もはや判読不能な終わりの一文はこうであった。
 *未だ妨げの足りない場合:剣を取り自ら花嫁に襲いかかること。一撃を浴び せ、脅しの言葉でも述べた後、直ちに退散すべし。


 グレンはオレンジの木の陰でチャンスをうかがっていた。
 リーもオレンジの木の陰でチャンスをうかがっていた。
 次はない。これが最後のチャンスである。ならばできるだけ効果的に恐怖を与 えるタイミングで花嫁を襲いたい。
「大丈夫だ。オレならできる」
 グレンは会場を見据えたまま、自分を落ち着かせるように大きく息をついた。 いざというときお嬢様をお守りするため、常日頃の鍛錬を欠かしたことなどない ではないか。力も、身のこなしも、都の騎士にだって負けない自信があった。そ れに――。
「退路の確保は完璧だぜ」
 リーは緊張を押しやるように口の端でニヤリと笑う。プリシラが足しげくシュ タイン邸に通ってくれていたおかげで、それに付いて行く自分たちもまるで己の 家のように詳しくなってしまっていた。どこをどう通れば素早く外まで逃げれる のか、目をつぶれば詳細に思い描くことだってできる。ああ、あのかくれんぼに 付き合ったちょっと切ない青春の日々は、今日この日のためにあったに違いない 。
 グレンは外套の下でぎゅっとナイフの柄をにぎりしめた。
 リーも外套の下で手が白くなるほど強く短剣の柄をにぎりしめた。
 さあ、準備は整っている。そのときよ、いつでも来るがいい。


 楽師たちはゆったりしたワルツを奏でていた。
 人々は最上のご馳走を腹に収めお酒もほどよく入って、和やかな雰囲気に満ち た宴を存分に楽しんでいる。しかし、すべてがそうであるように楽しい時間にも 終わりはやってくるもので、このアーノルドとエレーンのパーティもまたいつし か余興は終わり、食事も済み、踊りの輪もだんだん小さくなっていった。
 みんな名残を惜しむように最後のお喋りに華を咲かせているとき、唐突に「み なさま!」と呼びかける大きな声がした。見れば、ついさっきまで客人に混ざっ て談笑していたアーノルドとエレーンが、きちんと並んでたいへん真面目な様子 で立っているのである。これは何かあるぞと、注意はいっせいにそこに集中した 。
 またとないチャンス!
 グレンとリーが反応したのは言うまでもない。

 これは打ち合わせにもなかった計画なのだろう。身内の者まで何事かと見守る 中、アーノルドのほうがいかにも慎重に口を開いた。
「紳士、淑女の皆様方。本日は、私アーノルド・アルス・シュタインと、エレー ン……イエンナ・フェレストノアールのために集まっていただきまして、本当に ありがとうございました」
 と、ここで拍手喝采。アーノルドは静かになるまで辛抱強く待つと、わずかに 言葉を濁してから勢いよく口をきった。
「ええと、あのー、みなさんに聞いてもらわないといけない、とても大事な話が あるんです。実は――」
 そのとき、バリバリと空が砕けたようなひどい音がして、彼の言葉はかき消さ れた。
 驚いた人々の目に映ったのは、粉々になって地面に散らばったガラスや陶器の 食器の成れの果てと、ぐちゃぐちゃになったテーブルクロス。そのはしを握って いた手が無造作に離され、ぼとりと地に落ちる。手の先には曇り空に溶けて消え そうな外套に、大きな帽子で顔を隠した背の高い男。
 誰もが声も出せずに呆然と見つめる中、男はゆっくりとその広い帽子のつばを 持ち上げた。現れたのは、白くて、のっぺりしていて、無機質な、笑顔を浮かべ た不気味な仮面。
 誰かが我に返って騒ぐより先に、男は動いていた。止まっていた時を切り裂く ように走り出す男の前からは、恐怖に目を見開いた招待客たちが金切り声を上げ ながら逃げ出していく。それは海がさっと分かれたかのようであり、まっすぐに できた道の先には、驚愕を顔に貼り付け立ち尽くしているアーノルドと、その横 に……エレーン!
 伸ばした男の手がキラリと輝く。
「花嫁―――覚悟!!」
 くぐもった声が仮面の下から低く漏れ、高々と掲げた剣が……振り下ろされた !



 嘘のような静寂。
 額にふつふつと玉の汗が浮かぶのをグレンは感じた。
 目の前にはぎゅっと目を閉じて体をこわばらせた無防備なエレーンがいるとい うのに、グレンのナイフは花嫁の手前10cmでピタリと止まったのだ。エレーン の恐怖を思ってグレンが止めた(・・・)のではない。止まった( ・・・・) のだ。
 まるで透明な壁ががっちりと刃を受け止めたかのようだった。太く青筋の浮か んだ手にどんなに力を込めても1ミリたりとも先へ進まず、グレンは真っ白にな った頭で救いを求めるように泳ぐ視線をさまよわせた。
(いったい、どうすれば?!)

 一方のリーも仮面の下に大粒の汗を浮かべていた。
 まさか……まさかとは思っていたが、そんなまさか。
 リーの剣は花嫁が少しの迷いもなく伸ばした手の中でぴたりと止まったのだ。 白魚のような人差し指と中指ががっちりと刃を受け止め、真剣白刃どり(片手バ ージョン)は完璧に決まっていた。そして、
 ぐーーぐぐぐぐーーー。
 なんと!エレーンの指の間で鉄の刀身が細い針金のようにぐんにゃり曲がり始 めたではないか。
「うおぉおっ?!」
 リーは思わず飛びずさった。あやうく花嫁の手の中においてくるところだった 短剣を握りなおせば、刃先は首を傾げるように中ほどから10度くらい傾いてい る。
 だめだ!エレーンは絶対だめだ!

 血の気の引いた顔で視線を走らせたリーの目に、そしてグレンの目にそのとき 映ったのは、すぐ横であんぐりと口を開けて立ち尽くしているアーノルド・シュ タインお坊ちゃまの姿である。二人はもうほとんど脊髄反射で動いていた。
 よく考えたら、プリシラのことも自分がこんなことになったのも、すべてはア ーノルドのせいではないか。アーノルド、おまえこそこの一撃を受けるにふさわ しい。
 突然自分のほうに向きを変えた仮面の男に、アーノルドは明らかに動揺した。 慌てふためいて、身をかわそうと足を引いたがもう遅い。人生で最高によい動き をしているグレンとリーにとって、彼はスローモーションのようなもので、
「アーノルド様!」
「ぅおら、くらいやがれ!!」
 憤りと、恨みと、失敗からきたストレスと、疲れと空腹感すべてを込めたグレ ンとリーのクリティカルなみね打ちが、アーノルドの額にとうとう炸裂した!
(や……やった――――!!!)



 と、それはその瞬間に起こったのである。

 どろり。
 アーノルドの顔が溶けた。
 アーノルドの顔が溶けたのである。
 剣がぶち当たった箇所から、それはもう、目も眉も鼻もどろどろと。火で熱せ られたロウソクの蝋が溶けて流れ落ちるかのような光景であった。
「―――……っっ、ぎゃあああああああああ!!!」
 屋敷の外壁を飛び越えて、二つの絶叫が見事に重なった。





プロローグ

 



グレン

 



リー

 



届けられた手紙

 



がんばれ使用人

 



2人の花嫁
もしくはアーノルド

 




戦闘開始(前編)

 



戦闘開始(後編)

 



パーティを
ぶちこわせ(前編)

 




パーティを
ぶちこわせ(後編)

 




まけるな使用人

 



最後の仕掛け

 



5月の花嫁は
曇天に涙する

 






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