10:5月の花嫁は曇天に涙する

 仮面をはがされ、新しい空気がひやりと頬を撫でた。視界が一気に開けてまぶ しさにくらくらする。
 ゆっくりと開いた目にまず飛び込んできたのは、純白――純白のドレスをまと ったエレーンと、その隣に花嫁がもう一人。婚礼衣装を着た見知らぬ少年が二人 と、それから……それから、息をのみ、瞬きさえ忘れてこちらを凝視するアーノ ルド。
「グレン、リー……」
 逃げ出して、その食い入るような視線から身を隠してしまいたかった。しかし 、足首と両手を後ろ手に固く縛られ、おまけに腰まで抜けてしまっているせいで それも叶わない。できることといえば、歯を食いしばって、ただただ地面を見つ めるのみで。
 いたいほどの視線が薄れたかと思えば、ざわざわと周りを取り囲む群衆がざわ めく。嫌な予感がして反射的に顔を上げれば、もはや誰も自分たちを見ていない ことに気付いた。すぐそばでリーがイライラと舌打ちするのがグレンの耳に届く 。
「おいっ!てめぇらバッカじゃねーの?一体どこ見てやがんだよ!」
 むなしく響くリーの悪口雑言にグレンも慌てて続く。
「そうです!これはわたしたちが勝手に考えてやったことでありまして、すべて はわたしたちの責任で――!」
「いいえ、違うわ」
 その声は静かであったが、皆の耳によく聞こえた。アーノルドがポツリと呟く 。
「プリシラ」
 感心したことに、プリシラは顔を真っ青にしながらも逃げ出すことなくじっと その場に、招待客の真ん中に留まっていた。隣でオロオロとしている父親のトー ドリアス卿とは反対に、毅然とした態度ででまっすぐに皆の視線を受け止めてい る。
「違うわ。わたしが命令して、わたしがその二人にやらせたのよアーノルド」
 ああ、そうだ。そんなことずっと前から分かっていたじゃないか。グレンとリ ーは胸にどすんと重い石が落ちてきたような、笑い出したいような妙な気持ちで 彼女のことを見ていた。分かっていたじゃないか。お嬢様という人は。例えどん なにひどいわがままを言っても、罪を他人にかぶせるような卑怯な人間ではない ということを。
「どうして……いったい、なぜこんなことを」
 アーノルドのほうは目に見えてうろたえていた。妹のように大事にして愛して いるプリシラが……プリシラのほうだってとても慕ってくれていると思っていた のに、その彼女がどうして突然こんなことをするというのだ。
 アーノルドはハッと息を飲む。プリシラのアクアマリンの瞳からぽろぽろと大 粒の涙があとからあとから零れ落ちていた。涙に震える声で彼女は言った。
「だって……私、アーノルドのことが、好きなんだもの。誰より一番愛してるの に。どうしてアーノルドは私じゃない人と結婚してしまうの?!……そんなの私 は嫌だったんだもの」
 おえつ混じりのプリシラの言葉に雷に打たれたように驚いたのは、アーノルド ……ただ一人だった。誰もがそうだろうそうだろうと言わんばかりに納得して重 々しく頷いている。しかし、はっきり口にしてもらえないと気付かない激しくの んびりしすぎたアーノルドにしてみれば、寝耳に水のまったく予想外のことだっ たようで、彼はどうしたらよいのか、どう受け止めてよいのかも分からないよう にしばらく手を開いたり閉じたりしていたが、とうとうしぼり出すかのように口 を開いた。
「だけどプリシラ、だからって……エレーンを傷付けても良いという理由にはな らないだろう?エレーンを、殺そうだなんて」
「違う!私、殺そうだなんて、そんなことまで考えてなかったわ!!」
「でも、あの脅迫状には―――」
 その言葉に、プリシラも、グレンもリーも思い出した。そうだ、式の前に届い たというあの手紙。
「こんのバカ野郎アーノルド、何言ってやがんだ。あれはお嬢じゃねえ、あれだ けは違うんだよ!!」
 しかし今更この状況で、リーがいくらわめいたところで何も変わらないことく らい、プリシラもグレンも、リーでさえわかっていたのだ。しかしだからといっ て、お嬢様にあらぬ疑いがかかっているというのにどうしてじっと黙っていられ るだろうか。グレンは憤怒の形相で周囲を見渡し、大きく息を吸い込んだ……が 。
「アーノルド、あの手紙はその子が書いたんじゃないよ」
 先に上がった声は別のところからだった。外の庭園でアーノルドの代わりをし ていた銀色の髪の少年である。
「彼女が……エレーンがそう言ってる」
 少年と、もう一人のアーノルドの少年、そして2人のエレーンがそっと道を開 けると、彼らの後ろにほっそりした少女が一人、つつましく立っていた。
「アーノルド様」
「エレーン」
 消え入りそうな可憐な声で名前を呼ぶ彼女こそ、正真正銘、エレーン・イエン ナ・フェレストノアール本人であった。
 長い金茶の髪を後で一つに束ね、飾り気のない簡素なドレスをまとった彼女は 、ただそれだけで一枚の絵か彫刻のようであり、誰もが皆声をなくして、彼女の 一挙一動を見守っていた。先の2人のエレーンも美しかったが、彼女は目鼻立ち というよりは、空気が違ったのだ。取り巻く空気に気品さえ感じられる。そして 、支えずにはいられないような儚さと。
 沈黙をぶち破るように、片一方のエレーン(偽者)がえへんえへんと咳払いし て、アーノルドは慌ててエレーン〈本物〉の元に駆け寄った。
「エレーン、いったいどうしたの――?」
「アーノルド様、ごめんなさい」
 彼女の震える声に、彼がぎょっとするのが見て取れた。エレーンは泣いていた のだ。
「ごめんなさい、アーノルド様。あの手紙を書いたのは、私、なのです」
 招待客がどよめいた。グレンとリーは顔を見合わせ、プリシラは目に涙をため たまま呆然とする。自分の命を狙う脅迫状を、自分で書くなんて、そんなことあ るだろうか。
「冗談、でしょう?」
「いいえ、冗談でも嘘でもありません。私……私は、あんな手紙が来れば、この 結婚は無くなるだろうと、そのように思っていたのです。だから……!」
 泣きじゃくるエレーン嬢に、誰も「それってどういう意味?」などと尋ねるこ とはできず、気まずい視線が行ったり来たりする。そんな中、無神経に声を発し たのは、今だ地面に転がされたままのリーであった。
「つまり、結婚なんて絶対したくねー!ってほどアーノルドが嫌だったってこと だな?」
「そ…そんな、こと……」
 エレーンは強く首を振った。
「じゃあ他に好きなヤツがいたか」
 すかさず突っ込むリーに、今度は返事が返ってこない。じゃあ代わりにと言わ んばかりに返ってきたのは、怒れる親父の怒声だった。
「エっ……エエエエレーン!!お前という娘はまだそんなことを言っておるのか !」
 タコよりも顔を真っ赤にしてつばを撒き散らしながらわめきたてるのは、フェ レストノアール卿。エレーンの父である。
「身分違いもいいところだ!お前自分が高貴な血の娘だということをわかってい るのか?!あんな庭師の息子など!!庭師の息子など……」
「フェレストノアール卿!」
 卿をいさめる厳しい声に、誰もが耳を疑った。
 未だかつて、あの柔和なアーノルドがこのような声を発したことがあっただろ うか。彼はふうっと大きな溜め息をつくと、すべての力がそこから抜け落ちてし まったかのように情けなく微笑んだ。重たい雲をみあげて。
「結局ぼくは、誰の気持ちもちゃんと考えていなかったんですね。エレーンを… …それにプリシラを責めないでください。ぼくが。ぼくが悪かったんです」

 秋の夏草のように小さくなってたたずむアーノルドをただじっと見つめていた プリシラの肩に、大きな手がぽんと置かれて、彼女はハッと振り向いた。そこに はプリシラの父であるジェイムズ・トードリアス卿が、困ったような笑顔を浮か べて立っていた。
「アーノルドはああ言っているがね、プリシラ、お前はマジックユニオンに懺悔 しに行かねばなあ。私も一緒に行くから」
「お父様……」
 丸くて気が弱くてやさしい父親の顔に、プリシラはまたぽろぽろと涙をこぼし たが、びっくりするほど素直に、静かに頷いた。
 背中を支えられて、そっとプリシラは歩きだす。その後を大慌てで二つの声が 追いかけてきた。
「お待ちください、おやかたさま!!」
「お嬢!!」
 どうやって縄を解いたか解いてもらったのか知らないが、さっきまで転がって いたグレンとリーが駆け寄ってくる。
「お館様、わたくしたちも共に行きます。いや、行かせてください!」
「……だがお前たちは――」
「頼むぜオヤジ!オレたちはな……あいでっ!」額にチョップを受けて悶え苦し むリーを押しのけ、グレンはこの世の終わりのように真剣な顔でつめよった。
「わたしたちがいなかったなら、お嬢様だってこんな乱暴なことは思いつきさえ されなかったのです。それにお嬢様は、わたしたちのお嬢様で、お嬢様が責めを 受けるのならどうかわたしたちも共に……。いいえ、わたしたちにこそ罪を償わ せてくださいぃぃ!」
 トードリアス卿は思わず一歩引いた。
「わ、わかったよグレン。わかったから落ち着きなさい」
「で、では……!」
 恰幅のいい体から盛大に息を吐き出して、トードリアス卿は半分あきらめたよ うに肩をすくめて、それから笑った。
「そうだな。グレン、リー……お前たちはわたしなんかよりもいつもプリシラの 傍に居たのだし、たぶん今だってその方が良いんだろう。罪も償うべきだろうな 」
 さあ、と背中を押されて父の腕の中から飛び出したプリシラは、突然のことに よろけたが、次の瞬間には両側から大きな手によってがっちりと支えられていた 。見上げるとグレンとリーがいて、2人ともこれから自首しにいく人間だとは思 えないような嬉しそうな顔で笑っているのだった。


「プリシラお嬢様、がんばれ!」
 ふと大声をかけられ、驚いて見れば、それはなんとあの新郎新婦のフリをして いた4人の若者である。
「そうだ、お前らはよく頑張っていた」
「シャンデリアにはビックリしたわ!」
「ナイスファイトだったぞ!」
「はやく元気を出してね」
 口々に好き勝手に叫ぶ彼らにつられてか、招待客の中からも「もう悪いことを してはいけないよ」「辛かったわね」「また頑張りなさい」と叱咤激励の言葉が 次々と投げかけられた。
 プリシラは不思議な気持ちでそれらの声を聞いていた。エレーンに目をやると 、彼女は未だ泣きながら、こちらに向かって深深と頭を下げる。アーノルドはそ の傍らで捨てられた人形のように傷付いていたけれど、それでもプリシラと目が 合うと少しだけ微笑んでくれた。
「ほれ、お嬢。行くぞ」
 すぐ後ろには父がいて、両脇にはグレンとリーが寄り添って、顔を向けると笑 顔を浮かべる。
 プリシラは考えていた。
 もしアーノルドが結婚したら、わたしのところからいなくなって、そしてわた しには何も無くなってしまうと思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれ ない。
 この空を覆っている雲も、きっとはしの方から明るくなって青空がのぞくだろ う。
 今じゃなくても、今日じゃなくても、いつかきっと。





プロローグ

 



グレン

 



リー

 



届けられた手紙

 



がんばれ使用人

 



2人の花嫁
もしくはアーノルド

 




戦闘開始(前編)

 



戦闘開始(後編)

 



パーティを
ぶちこわせ(前編)

 




パーティを
ぶちこわせ(後編)

 




まけるな使用人

 



最後の仕掛け

 



5月の花嫁は
曇天に涙する

 






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