5:2人の花嫁、もしくはアーノルド

 ここ最近続いていた晴天が嘘のように、空はあいにくの曇り模様。広げたテー ブルクロスのようにいっぱいに敷き詰められた雲は、雨を降らせるほどではなか ったが、かといって青空を期待するには厚すぎた。
 結婚式に集まった人々は、口々にこの天気を残念がったが、どんよりとした薄 暗さに思わずにんまりほくそ笑んでいる人間も希にいたりするものである。


 着飾った招待客を詰め込んだ絢爛な馬車の波に紛れて、2人の男がシュタイン 家の門をくぐったことに誰も気付かなかったのは、そんな天気のお陰でもあった に違いない。見咎められずに庭木の影に滑り込んだその2人は、足首までとどく 壁に溶けそうな色合いの外套ですっぽりと身を覆い、頭には鍔の広い帽子を目深 に被っていたためあごの先さえ見えないくらいだった。最も帽子の中を覗き込ん だからといって表情はうかがえなかっただろう。なぜなら、その顔には奇妙な笑 顔の仮面が付けられていたのだから。
「とりあえず、侵入成功……ってとこか」
 一方の仮面の下からくぐもった笑い声がケケケと漏れた。
「油断するな。まだ第一関門を突破したにすぎん」
 もう一方から聞こえたのは、不機嫌にもとれる生真面目な声。
 我らがグレンである。
「わぁーってるって。けどオレなんかよりお前のほうが図体でけぇんだからな。 目立つし。十分注意してろよ?」
 始めの口の悪いのがもちろんリー。
 グレンは誰に言ってるんだとばかりに鼻を鳴らしてみせた。
「言われるまでもない」
 微塵の迷いもなく言い切るだけあって、気配を殺したグレンの存在感といった ら道端の雑草並に薄い。巨漢を見上げてオマエ一体何者だよと突っ込みたくなる リーだったが、今はそれどころじゃないのでとりあえずやめておくことにした。
 代わりに地味な外套の胸の辺りを指さすと、
「仕掛けを書いた紙はちゃんと持ってるな?」
 念のため最後に確認を。
「当然」
 自分の胸の内ポケットを服の上から慎重に押さえて、グレンは短く返答する。 満足げに頷くと、リーは顔を上げ、狭い視界を巡らせた。
「さあて、そろそろ行くかねぇ」
 口調は軽かったが、その中に混じる覚悟と、またこれからピクニックにでも行 くかのようなワクワクした高揚感に、グレンは呆れてしまう。全く大した奴だと 。
 短い鐘の音がシュタイン家に響き渡り、式はもうすぐ始まろうとしていた。正 面に向き直って、リーは浮かれた声をわずかだけ低くする。
本物じゃない・・・・・・と解ったらすぐこっちに加 勢に来いよ」
「お前こそ」
 にいやりと笑うお互いの顔が、仮面の上からも分かるようだった。握った拳の 先を軽く合わせると、相手に背を向け―――……そのまま2人は真逆の方向へ歩 き出す。グレンは屋敷の表へ、リーは奥へ。
 そして植え込みの間を縫うようにして、影は消えていったのだった。


 つまりはこういうわけだ。
 花嫁撃退の仕掛けを作るため、シュタイン家に潜り込んだリーが見たものは、 なんと2つの式場だった。
 まずは中庭に一つ。そして広い庭園の一角にもう一つ。新郎新婦のための席も 、誓いをたてるための部屋も、その後のパーティの食事をとる机も花や飾りも、 そっくり同じようにそれぞれに用意されていたのだ。何かが違うならまだしも、 全く同じな式場が二ヶ所あるという。これは明らかにおかしい。何かある。
『脅迫状を送りつけたヤツをかく乱するためだな』
 リーはそう結論づけた。
 確かに、やって来てみれば式が2つもいっぺんに行われていた……なんてこと になると、襲う方は結構嫌かもしれない。
 しかし、会場が2つあるならば、二手に分かれればいいだけの話ではないか。 幸いにもというか、こちらはアーノルドの顔をよく知っている。どちらにしたっ て、すぐに偽者を見分けることができると、それだけはグレンもリーも確信して いるのだった。
 2人が既に人でいっぱいになったそれぞれの会場に辿り着き、目立たない隅の 隅の場所にひっそりと身を定めたとき、待っていたかのように庭に面した扉が開 き、招待客たちは俄にざわめく。グレンとリーはまっすぐに扉を見つめ、そのと きを待つのだった。さあ、いよいよだ。
 そういえば………。
 その後なんの音沙汰もないけれど、あの脅迫状の送り主は、一体誰だったのだ ろう?


 グレンには、自分の居るこの庭園の会場で本物の式が挙げられるだろうという ある程度の自信があった。なぜなら、先日苦労してプレゼントしたあの甲冑は堂 々とした立ち姿でこちらに飾られていたし、その贈り主であるプリシラも父親で あるトードリアス卿と共に姿をみせていたからだ。まさか一番親しく付き合って いた幼なじみのプリシラを、偽の結婚式に招待することなどないだろう。
 開け放たれた扉の奥から現れた人影を目にしたとき、グレンは自分の予想が的 中したことを知り、拳にぐっと力を込めた。真新しい婚礼衣装に身を包んだ彼は 、栗色の髪にハシバミの瞳、穏やかな笑みを口元にたたえた、まごうことなきア ーノルド本人である。
 顔も背も手足の長さも、己の知るアーノルドと少しも違わない。敢えていうな ら、これだけの視線を集めても動じることなく堂々としている辺りが、普段と違 っているだろうか。結婚に関して自分に自信をつけたのかもしれない。
 アーノルドは今来た方へ振り返ると、優しい仕草で、そちらに手を差し伸べた 。その手を取ってゆっくりと進んできたのは、純白のドレスを纏った花嫁。
 エレーン・イエンナ・フェレストノアール嬢。
 幸せそうにはにかみながら笑う彼女をよく見ようと伸び上がる人々の視線に紛 れて、最後尾のグレンもさながら射るように目を凝らす。
 砂糖菓子のような少女だな、とグレンは思った。
 リーからは18歳だと聞いていたが、それより少し幼く感じられる。
 まず目に飛び込んできたのは、曇り空の下パッと花が咲いたような薄紅色の髪 だった。忙しくあちこちへと動く大きくて丸い目は春を思わす若葉色。少し上を 向いた鼻に、ふっくらした薔薇色の頬。良く笑う唇。この時期この土地の習慣で あるオレンジの小さな花をふんだんに散りばめたヴェールと、フリルやレースの ウェディングドレスがとても似合って、ふわふわした彼女はまるで絵本から抜け 出た妖精のようであった。
 花嫁の愛らしさに、周囲からも感嘆の声が漏れる。
(確かに、アーノルド様が一目惚れされたというだけのことはあるのかも知れん な)
 アーノルド坊ちゃま、サルでもオッケーといわんばかりののほほんとした顔を して、なかなかどうして基準が高い。
 ウッカリ全面的に認めるようなことを考えてしまったグレンだったが、ハッと していやいやいやと首を振った。
(感心するほどのことでもあるまい。プリシラお嬢様だって、人形のように愛く るしい御方ではないか)
 黙っていれば。
 それはもう、黙っていれば。
(………今日とて北から取り寄せた蒼い布地のドレスが非常に似合っておられ たぞ!!)
 危うく自ら墓穴を掘りそうになったグレンは、体勢を立て直さんと素晴らしい 速さで人混みの中から蒼い衣のプリシラを探し出し―――息をのんだ。
 頭だけようやく見ることができた彼女は唇を噛み、何かを耐えるようにじっと 地面を睨み付けている。
 そうだ。こうなることは始めから分かっていたではないか。
 けれど見たかったわけじゃないし、あんな顔をさせたかったわけでもなかった 。グレンは改めて仮面の下の厳しい瞳で見つめた。最高の幸せに寄り添い、微笑 み合う2人。
 迷いは今だ頭にこびりついて離れなかったが、結論はとおに決まっていた。
(プリシラお嬢様、貴女の笑顔、このわたしが取り戻してみせます!!!)
 そして誰にも気付かれぬうちに、グレンはそっとその場を離れたのである。


 リーには、自分の居るこの庭園の会場で本物の式が挙げられるだろうというあ る程度の自信があった。なぜなら、片隅におかれた立派な椅子には、この街の長 がどっかりと鎮座していたし、アーノルドの両親は揃ってにこやかに客と挨拶の 言葉を交わしていたからだ。まさか実の親が偽の結婚式に出席することなどない だろう。
 開け放たれた扉の奥から現れた人影を目にしたとき、リーは自分の予想が的中 したことを知り、ニヤリと口角を引き上げた。真新しい婚礼衣装に身を包んだ彼 は、栗色の髪にハシバミの瞳、照れたような笑みを口元に浮かべた、まごうこと なきアーノルド本人である。
 顔も背も手足の長さも、己の知るアーノルドと少しも違わない。敢えていうな ら、これだけの視線を集めても動じることなくむしろ嬉しそうにきょろきょろし ている辺りが、普段と違っているだろうか。よっぽど舞い上がってしまっている のかもしれない。
 アーノルドは今来た方へ振り返ると、力強い仕草で、そちらに手を差し伸べた 。その手を取ってゆっくりと進んできたのは、純白のドレスを纏った花嫁。
 エレーン・イエンナ・フェレストノアール嬢。
 静かに目を伏せ、神聖ささえ漂う表情をたたえた彼女をよく見ようと伸び上が る人々の視線に紛れて、最後尾のリーも興味津々に目を凝らす。
 紫水晶のような少女だな、とリーは思った。
 モニカからは18歳だと聞いていたが、もう少し大人びた雰囲気に感じられる 。
 藍色の髪は緩く弧を描いて、透き通るほど白く細い頬を飾っていた。長い睫毛 に縁取られたアーモンド型の瞳は神秘的な瑠璃の色。すっと通った鼻筋に桜色の 唇。この時期この土地の習慣であるオレンジの小さな花をふんだんに散りばめた ヴェールと、ごくシンプルなウェディングドレスがとても似合って、しゃんとし た彼女はまるで物語から抜け出た精霊のようであった。
 花嫁の美しさに、周囲からも感嘆の声が漏れる。
(確かに、アーノルドのヤツが一目惚れしたっつーだけのことはあるな)
 アーノルド坊ちゃま、チンパンジーでも大丈夫といわんばかりのぼけぼけとし た顔をして、なかなかどうして基準が高い。
 全面的に認めてしまいそうなリーだったが、僅かに考えていいやと緩く首を振 った。
(まあ感心するほどのことでもねーか。ウチのお嬢だって、アレで人形みてぇに キレーな顔立ちしてんだ)
 黙っていれば。
 あくまでも、黙っていれば。
(――そう言やあ)
 リーは素早く辺りに視線を走らせ、気付いた。
(此処でまだ一度もお嬢のこと見てねえな)
 確か目の覚めるような蒼いドレスを着ているはずだったのだが、それらしき人 物はどこにも見あたらない。やはりアーノルドの結婚式には来ることができなか ったか、それとも……。
 やり場のない苛立ちと悲しみに唇を噛むプリシラの姿が、見たくもないのに脳 裏に浮かび、リーは忌々しげに仮面の下で顔をしかめる。目線の先には凛として 誇らしげに寄り添う2人。
 迷いは無い。結論は始めから決まっていた。
(まってろよお嬢、今にオレが空を向いて思いっきり笑えるようにしてやるぜ! !!)
 そして誰にも気付かれぬうちに、リーはそっとその場を離れたのであった。






プロローグ

 



グレン

 



リー

 



届けられた手紙

 



がんばれ使用人

 



2人の花嫁
もしくはアーノルド

 




戦闘開始(前編)

 



戦闘開始(後編)

 



パーティを
ぶちこわせ(前編)

 




パーティを
ぶちこわせ(後編)

 




まけるな使用人

 



最後の仕掛け

 



5月の花嫁は
曇天に涙する

 






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