7:パーティをぶちこわせ(後編)

(あれ?)
(今、何かちょっと…)
(ケーキが……)
(…………………)
 吹っ飛んだ気がしたのだけれど。
 客人の誰もが、心に何か引っかかるものを感じたが、右を見、左を見して、全 てはお互いの晴れやかな笑顔に完全にもみ消されたのだった。疑い深くなってい た誓いの儀式の出席者さえ、「目の錯覚」だと決め付けてしまったほどだ。だっ てそんな、ケーキが爆発するなんて、あるわけないじゃなーーい。
 新郎新婦も平然とケーキにナイフを入れていることだし、確かに何事もなかっ た……のではないか。無事にケーキ入刀は行われたのだ。拍手が沸き起こったの は言うまでもない。
 だが、しかし―――。
「んなわけねーじゃねぇか。おかしいだろ明らかにぃっ!!」
 火薬を仕掛けた張本人が、そんな理由でどうして納得できようか。ケーキはグ レンの石頭に誓ってぜっっったいに、こっぱみじんに破裂したのに、それが気が 変わったかのようにもとのあるべき場所に戻ってくるなんて、いったいどんな奇 術や奇跡のミラクルだというのだ。有り得ない!
(……いや、待てよ。奇術――マジック。魔法。……魔法?!)
 グレンと同様に会場を一望できる廊下の窓にはりついていたリーは、血の気の 引く思いでざっと中庭に目を走らせた。
 違う、いない。居ないに決まっている。
 マジックユニオン、オレンジバレー・カシュカシュ支部の魔法使いウェイン・ アモンセンは2週間ほど仕事で出かけていると聞いていた。ここ最近、支部は人 気もなくガランとしていたし、トードリアス家にもシュタイン家にも年長者の寄 り合いにも顔を出していないようだし、
「やっぱり、いねえ……よな」
 どんなに目を凝らしても、例の魔法使いのひょろりとした立ち姿も神経質そう な顔も見つけることはできなかった。
(考えすぎか……)
 そもそも、仮にウェイン・アモンセンがこの場に居たとして、こっぱみじんに 破裂したケーキを元に戻すなんて芸当が、果たして可能なのだろうか。魔法使い といったってしょせんは人間ではないか。
 実際リーが魔術師の魔法を見た――と思われるのは、今までにたったの2回だ け。昔の仲間が引ったくりをして全力で逃げていたとき、ユニオンの職員が大声 で叫んだとたん思いっきりすっ転んでしまった場面。それからリー自身が猛烈な 腹痛にみまわれたさい、魔術師の薬を飲んだとたんコロリと良くなった、という 。そのくらいだ。それだって本当に魔法だったのか、よくよく考えてもはっきり しないというのに。
「気にするほどのことでもねぇ!」
 周囲に人気のないのをいいことに、リーは両の頬をバシバシと叩くと、真剣な まなざしで中庭を見下ろした。
 失敗した仕掛けのことはもういい。気持ちを切り替えろ。先のことだけ考える んだ。そう、次だ。次こそは……!!


 祝宴は、アーノルドの伯父であるシェスターホーエン卿の音頭で始まった。
「アーノルドとエレーン嬢の前途に繁栄と数々の祝福がありますように。乾杯!」
 ―――乾杯!
 いっせいに高々と上がる杯。幾度も打ち合わされて上等のオレンジ酒は白く泡 立つ。待ち構えていた侍女たちが次々に運んできた皿で、テーブルは埋め尽くさ れた。
 ふかふかの白パンに、バターとオレンジのコンポート。摘んだばかりのハーブ やカリフラワーのサラダの青い香り。舌の先でとろけるテリーヌには、ほんのり と柑橘系の酸味が漂う。香ばしいベーコンとキノコのキッシュ。ほろほろ鳥のオ レンジスタッフィン。鴨のロースト。子牛のオレンジクリーム煮。じゅうじゅう と油の滴るローストポークやスペアリブには、オレンジマーマレードのソースを 添えて。デザートはオレンジ風味のシフォン。オレンジのクレープ。オレンジチ ーズケーキ。さくさくのオレンジフィナンシェ。オレンジティーにオレンジの香 りがさり気ないおしぼりまで。
 多少の偏りが見られるのは、彼らがオレンジバレーの“オレンジ貴族”と呼ば れるゆえんである。彼らはオレンジバレーとその特産品であるオレンジをこよな く愛していた。
 たかがオレンジと侮るなかれ。舌の肥えた食通の貴族たちを唸らす料理の数々 ……から溢れる良い匂いに、こそこそと館から降りてきたリーは、こめかみに青 筋を立てて腹の虫と戦わなければならなかった。
「くそう、オレも、食 い て え 〜〜!!」
 普段なら「食べるな」とグレンにやかましく言われていても、上手いことちょ ろまかしてやるところだったが、なんせ今はこの恰好だ。庭の陰に潜むための外 套や、顔まで覆うつばの帽子などでフラフラと華やかな祝いの席に出ていけば、 迷惑なオヤジの腹踊りよりも目立ちかねない。
(我慢だ。我慢だぞオレ。そうだ、お嬢の婚宴の時にゃ誰が何と言おうと今日の 分まで食い倒してやるからなぁー!!)
 予定のない希望でなんとか自分を慰めていたリーは、そのときふと、会場の異 変に気付いたのである。
 異変といってもそう大層なものではなくて、ただ、誰もが見てはいけないもの を見るかのようにちらりちらりとある方向に視線をやるのだ。皆が一様にある一 点を。その視線の先には――。
(おおおおおおっ??!)
 リーは驚愕した。確かに見ていいのかよくないのか分からない光景だった。
 つまり、その、食べていたのだ。花嫁と花婿が、宴のご馳走を。いや、もちろ ん食べたらいけないというわけではない。新郎新婦だって普通に食事を楽しむも のだ。
 しかしこの場合の2人には、“食べていた”という表現はふさわしくなかった だろう。
 彼らは、食って食って食いまくっていたのだ。
 あの辺だけ、給仕の侍女たちがやたらと走っていた。積み上げられる前に慌て てさげられる空の皿。わき目もふらず、無言で水のように食事を流し込む飢えた 野生動物……ではなく新郎新婦。
 いったいどうした、アーノルド。おまえはどちらかといえば少食の細男ではな かったか。
 それ以上に正気に戻れエレーン・フェレストノアール。病気がちだったとかい う過去はどうなったのだ。君は今、貴族という立場どころか女を捨てているぞ― ―!


 とはいえ、2人がおとなしく座したままで誰も寄りつかないとなれば、リーに とっては絶好の攻撃チャンスだ。
 リーはそっとオレンジの木の間から出ると、前の方に設けられた飾り花で溢れ るテーブルに近付いた。そのうちの一番丈の高い花瓶の角度をわずかにずらす。 陶器に描かれた豪勢な青い花が、ピタリとエレーンに向くように。それから、花 瓶の口から垂れた目立たない糸を引き抜けば、後はそっと身を隠すだけ。花瓶の 中からカチカチと時を刻む針の音が聞こえたが、なあに、それもリーが安全な場 所に離れるまでのことだ。
 その場の微妙な空気を一掃するかのように、楽師たちが盛大に楽器を掻き鳴ら し始める。どこか救われたような顔で手を取り合い、踊りの輪を作る人々。リー は庭木の陰に体を滑り込ませ。
 そして、すぐに、誰も気付かないうちに、
 時は来た。

「パーフェクト」
 花瓶がガタンと大きく揺れて、一直線に飛び出したのは矢だ。
 狙いは一寸も違わずエレーンに。矢尻は無く、先の平たい矢ではあったが、し かし勢いは衰えず、瞬き一つの間に空気を貫く。
 当たった――と、リーは思った。
 ところが、先の無い矢がエレーンの肩をしたたかに打とうとする、その直前。 目にも留まらない速さで伸びてきた手が、あろうことかわしりと矢を掴み取った のだ。
「――――――っ?!」
 しかもなんと、掴んだのは当のエレーン嬢の細腕であった。
 エレーンはそのまま、料理から顔も上げずにポイと矢羽根のついた棒をその辺 に放ると、また一心に食事をお続けになった。
 ハエを払うのと同じ動作だった。

「な、なんで?」
 そんなのありかよ。
 あまりのことに、はじめはあんぐり口を開けて声も出なかったリーだったが、 終いにはふつふつと怒りさえ込み上げてくるのだった。
「だいたい、何だってんだよあのエレーンは!アレじゃ人外じゃねぇか。もっと お嬢らしく行動しろ。お嬢らしく!」
 お嬢様らしくまんまと矢に当たり、お嬢様らしくキャアと悲鳴を上げ、お嬢様 らしく派手に倒れて人目を引くべきだったのだ。それがどうだ。案の定、音楽に 合わせて踊る客人は気付きもしない。例え気付いたとしても、「新婦が矢を受け 止めましたよ」なんてどうして言えようか。
 畜生!こんな訳のわかんねぇ時にグレンのヤツは何やってんだ!アーノルドが 偽者だと気付いたらすぐに加勢に来るはずだったじゃねーか。遅い、いくらなん でも遅すぎる。
 まさかいまだに気付かず、あっちで偽者相手に本気になっているのではあるま いか。
「…………有り得ねえ話じゃねーな」
 グレンはいつも全力で疾走している。
(あーもー頭痛くなってきた)


 パララッパ タッタッタ ラッタッタ ラッパー

 中庭の中央では太鼓とラッパが鳴り響き、余興にと呼ばれた大道芸人たちの曲 芸が披露されようとしていた。カラフルな衣装に派手な化粧の彼らがこっけいな 仕草で現れると、あちらからもこちらからも喝采が飛んでくる。
 まあ、グレンは放っておいてもまさかつかまったりはしないだろう。どっちに したってこんな恰好でうろうろ呼びに行くわけにはいかない。本当にヤツはどう しているのだろう。上手くやっているのだろうか。
 ……………………………。
(ん?そういやあ、グレンのヤツがまだ外庭の方に居るってことは、もしかして 、あの仕掛け動かしたんじゃねえの?)
 あの仕掛け。あの、プリシラの贈り物を使った最高にイカした傑作な仕掛け。
 ……ション………ン…………………ガション。
 恐ろしく厳しい鎧が倒れこんできたとき、いったいどんなふうだったんだろう。 アーノルドとエレーン(偽者)と、招待客の恐怖の表情がありありと浮かんで くるようだ。
 ガション ガション ガション  ガション ガション ガション ガション
「くっそー、オレも見たかったぜ」
 ガション ガション ガション ガション ガション ガション ガショ ン
「………………」
 笑顔でぐっと拳を握るリーの脇を、それは大股で通り過ぎていった。なんてサ ービス精神旺盛なのだろうか。リーが今まさに見たいとのたまった、かの鎧であ る。
「―――――は?」
 張り付いた笑顔のまま顔を上げる。
 装飾も美しい全身鎧(鑑賞用)は、銀色の銅を淡くきらめかせながら、球乗り やジャグリングを披露していた曲芸師たちの真ん中に堂々と突っ込み、右往左往 する人たちの間でカクリと90度方向転換すると、

 ゴ ゥ ン !!

 手ごろな壁に激突してようやく歩みを止めた。
 もうもうと上がる砂煙の中、空の兜がごろりと重く地面に転る。
「………………はあぁ?!」

 しんと静まりかえった中庭に、花嫁の声が厳かに響いた。
「おかわり」





プロローグ

 



グレン

 



リー

 



届けられた手紙

 



がんばれ使用人

 



2人の花嫁
もしくはアーノルド

 




戦闘開始(前編)

 



戦闘開始(後編)

 



パーティを
ぶちこわせ(前編)

 




パーティを
ぶちこわせ(後編)

 




まけるな使用人

 



最後の仕掛け

 



5月の花嫁は
曇天に涙する

 






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